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2016年8月16日 (火)

音痴の歌姫比べ

これからしばらく、パリの日常に戻る。スティーヴン・フリアーズの新作、「フローレンス・フォスター・ジェンキンス」を見た。大富豪の音痴の歌姫の話と聞いて、どこかで聞いたことがあると思ったら、この春に日本で公開したフランス映画のグザヴィエ・ジャノリ監督『偉大なるマルグリット』にそっくりの話。

『偉大なるマグリット』のサイトを見たら、まさにアメリカのフローレンス・フォスター・ジェンキンズの話を読んで、監督が舞台をフランスに移し替えて自由に翻案したらしい。

「カイエ・デュ・シネマ」誌では、フランス版の方がずっといいと書かれていたが、最近のこの雑誌はあまり信用できないので、見に行った。私には今回のフリアーズ版の方がずっと映画になっていると思った。

フランス版はひたすらおかしい。主人公のマルグリットを演じるカトリーヌ・フロは本当に歌がヘタ。ところがフリアーズ版では、フローレンスの歌はそこそこうまい。それをメリル・ストリープが演じるから彼女特有の気まずさが十分に発揮される。

そして夫役のヒュー・グラントが、惚れ惚れするほどうまい。彼女の望みをかなえるために最大限に尽くすハンサム男を演じる。実は彼には若い愛人がいるという設定も効いている。

物語は、大富豪のフローレンスが周りの心配や嘲笑をもろともせず、カーネギーホールでリサイタルをしてしまうという話。

いくつかの映画らしい名場面がある。例えばフローレンスが若いピアニストの家でヘタなピアノを弾くのを、ピアニストがうまくフォローするシーン。コンサートの夜にヒュー・グラントが妻の頼みで添寝をするシーン。フローレンスが自分のコンサートを批判した「ポスト」紙を読む瞬間は、カメラは次第に引いて俯瞰になったかと思うと、反対側から長回しで移動させる。

終盤には涙一杯になるから、あら不思議。フリアーズは昔のような冴えはないけれど、やはりフランスの凡庸な監督の何倍も才能がある。「カイエ」を信じてはいけない。

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