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2016年8月30日 (火)

川喜多かしことヒロコ・ゴヴァースの跡を追って:その(2)

川喜多かしこさんがロンドンの住所入りレターヘッドに手書きで書いた、メリー・メールソン宛の1959年1月21日付け手紙がある。これを読むだけで、既に彼女が映画の国際的なネットワークを手にしていたことがわかる。メリー・メールソンは、ワルシュワ生まれでルネ・クレールに『パリの屋根の下』などの美術を担当したのラザール・メールソンの未亡人。

彼女はアンリ・ラングロワの秘書であり、私生活も共にしていたと言われる。ラングロワ宛の手紙は、彼女か後に保存部長となるドイツの映画史家、ロッテ・アイスナーが仏語に訳しているが、メリーやロッテに直接書かれた手紙も多い。その方が早いからだろう。

「親愛なるマリー。
R.R.に会えるよう素晴らしいアレンジをしてくれたことに感謝します。彼は私に大変深い印象を残しました。何と不思議なことに、ロンドン行きの飛行機でイングリッド・バーグマンと会いました。ローマに子供に会いに行ってとのことです。
『雨月物語』と『近松物語』については、2月1日までにロンドンのBFIに送ってください。私の夫がロンドンに来て、販売目的の上映をします。
ベネチアに送った5本については、こちらからどこに送るか指示するまで預かってもらえますか?
愛情を込めて。
K.川喜多」

R.R.とは間違いなくロベルト・ロッセリーニ監督のことだろう。バーグマンはロッセリーニの映画を見て感動してローマに向かい、結婚して子供もできたが、この頃には破局を迎えていたはずだ。BFIは英国映画協会。

重要なことは、かしこさんが、ベネチア映画祭に出した映画をロンドンやパリに巧みに回して、劇場公開の準備や特集巡回に使っていたことだ。これはもう現代の映画会社の国際部の仕事と同じ。違うのは大映、東宝、松竹などから頼まれて彼女が1人でやっていたこと。

それにはカンヌがあり、シネマテークがあるフランスのパリという街は大きな基点となったはず。カンヌやベネチアやベルリンに出した英語や仏語字幕付きの邦画をシネマテークにストックしておいて、欧州各国に貸し出すことができる。そのためにはパリにアシスタントがいたら都合がいいだろう。だから1963年に学生としてパリに来たヒロコ・ゴヴァースさんを、しばらく後に雇ったのだろう。

ゴヴァースさんの名前は、1963年の日本映画大特集時に現地に赴いたかしこさんの片腕だった清水晶氏が、東京国立近代美術館の小冊子に当時書いた文章の末尾に、上映前解説を手伝った学生の1人(クロダ・ヒロコ)として出てくる。

だんだんと、歴史がつながってくる気がする。わずか50年ほど前のことなのに、調べておかないと忘れ去られてしまいそうだ。

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