パリのささいなこと:その(4)
先日、「電気とガスのメーターを測定に来るので、12時から14時まで家にいてください」と貼り紙があった。友人と昼食の予定だったので、私が自宅で作ることにして待った。12時ちょうどにドアを叩く音。友人かと思ったら、野球帽をかぶったボクサーのような黒人男性が立っていた。スパイク・リーかと思った。
一瞬身構えたが「ガス、電気の測定です」。中に入れると彼の携帯が鳴り、彼は電話で誰かと話しながらいつの間にか測定を終えていた。大丈夫かな。制服とは言わないまでも、証明書を首から下げて来るかと思ったが、何もなかった。
クリーニング店で驚いたのが、名前も電話番号も聞かれないこと。日付と番号入りの紙を渡されるだけ。取りに行かなければ、その人が悪いのだろう。それにしても。
こちらに来て、衣服を全く買っていない。たぶんカンヌで酔った勢いで買ったオレンジの高級モカシンだけ。下着に至るまですべて持って来た。シャンプーも、ローションも、歯磨きも。
買うのは食べ物くらい。これもだんだん定番化してきた。ヨーグルトも牛乳も同じものを買う。要は日本で自分が買っていたものに味の近いもの。
持ってきて役に立たなかったのは、タキシードと蝶ネクタイと黒い靴。カンヌでもベネチアでも日本映画はコンペに入らなかったので必要ない。特に黒の上下と黒靴は重かったのに。
持ってきて一番役立ったのは、エプソンの携帯用軽量プリンター。日本に原稿を送ったり、ゲラを確認するのにやはり印刷しないとダメ。展覧会のチケットも予約すると並ばずに入れるので、プリントアウトする。フランスではスマホでの確認ができないチケットも多い。ただしこの型の携帯用プリンターのインクはフランスに売っていないので、替えは日本から来た友人に持ってきてもらった。
そうこうするうちに、滞在もあと1ヵ月に近づいてきた。気分としては、昨日書いたホウ・シャオシェンの『風櫃の少年』のラストシーンに近い。過ぎ行く日々をなすすべなく見つめ、喪失感だけがつのる。時間そのものと向き合う。そこに流れるバッハの「G線上のアリア」。
なんで50歳半ばの男が、兵役を前にした台湾の少年の気持ちなのかわからないけれど。あの少年たちのように、「引っ越し前だから、すべて安売りだ、持っていけ!」と叫びたい。
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