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2016年8月19日 (金)

『ポケットの中の握り拳』のベロッキオ

マルコ・ベロッキオ監督の第一回長編『ポケットの中の握り拳』(1965)を久しぶりに4K復元版で見た。最初の映画に監督のすべてが現れているとはよく言うことだが、今回見てまさにその通りだと思った。

まず、テーマは家族と宗教。ここに現代のニヒリズムを持ち込む。そしてスキャンダラスな世界をケレン味たっぷりに繰り広げる。派手な場面では、宗教音楽やオペラを大音響で流しまくる。宗教を否定する内容なのに、宗教的な雰囲気が濃厚に残る。

この映画は、北イタリアのブルジョア家族を中心に繰り広げられる。主人公はアレッサンドロだが、アレとかサンドロとか呼ばれている。父はなぜかおらず、目が不自由で気の弱い母、社交性のある兄アウグスト、兄が好きな妹のジュリア、知恵遅れの弟のレオーネ。

アレは兄には相手にされず妹に馬鹿にされ、レオーネは癲癇を起こし、母はおろおろするばかり。家の中にいるだけでアレはいらいらしてあたりかまわず怒る。

母を崖から突き落とし、その家具を妹と2階から投げ捨てて、庭で焼いてしまう。あるいは弟の薬を大量に飲ませて風呂に頭を埋める。見ていて本当に怖くなる。そこにかぶさるヴェルディのオペラ。

その内容だけで十分にショッキングだが、アレを演じるレオ・カステルが最後まであまりにも不気味で怖くなる。イタリア北部のブルジョア家庭の崩壊をスキャンダルに描くというベロッキオ監督のねらいは、十分に当たったと言えるだろう。

彼らの家のどの部屋も絵画や写真ばかりだったのも、気になった。最近ではシンプル志向で部屋の中に絵画などはかけないが、あの家がまさに歴史と記憶の集積だったことがよくわかる。あるいはよく鏡に人々が写っていたのも、あえてそうしたのだと思う。ある意味でメタ映画なのだから。

正直に言うと、これを再見したら最近のベロッキオ監督の新作を有り難がりすぎるのは、少し違うかなという気もした。あくまでテクニックの監督のように思えたから。

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