もう、映画を見るヒマもない:その(3)
ラジオ番組に出た話を、忘れないうちに書いておきたい。もともと私はイベント屋だから、裏の人間である。実際には自分がほぼ一人で作った企画でも、あくまで無名を通すが暗黙のルール。短い記者時代には記事には名前は出したが、あくまで新聞社の会社員。
前置きが長くなったが、そういうわけで私は自分の勤める新聞以外に書いたことはめったになかったし、ましてやテレビやラジオには出たことがなかった。大学に移って7年半。数年前から時々新聞や雑誌に書くようになった。
NHKのラジオに生番組に出たのは、2年ほど前か。ここに書いたようにあまりうまくいかなかった。国際映画祭について語ったが、対談の相手が苦手のせいか、相当準備をしていたにもかかわらず、消化不良に終わった。
今回はましてはフランス語である。ちょうどシネマテークの倉庫での調査の日と重なったので、いったん断った。すると一緒に出演するシネマテークのエミリーさんが、「是非とも出て欲しい」と来た。彼女のおかげで調査ができたので、断れなくなった。
ラジオ局は「フランス・キュルチュール」と言い、フランスの友人によればここに出るのは「すごい」ことらしい。番組の「ラ・グランド・ターブル」は昼間にやる有名な番組らしく、知っている友人が何人もいた。我々は12:00-12:30の第1部だったが、その日の第2部はノーベル賞の経済学者のポール・クルーグマンが出ていた!
出たのは、エミリーさんと映画監督で日本映画研究家のパスカル君と私。テーマは「日本映画は招く」。要するに14日からシネマテークで始まったEcran Japonais「日本の銀幕」という展覧会と日本映画連続上映を紹介するのが主な目的だった。
もともとこの企画は、パスカル君の監修でフランスで初めて「日本映画事典」が出ることから始まった。私も直前に原稿を頼まれて書いたが、その縁で彼とは会っていた。彼は日本でも公開された美輪明宏のドキュメンタリーを監督しており、90年代初頭から10年間にかけて日本映画の古典を集中的に公開した「アライヴ」という会社に勤めていた。
彼は私より一回り若く、エミリーさんはたぶんさらに一回り若い。彼女はシネマテークの収集部門にいるが、日本映画にくわしく、日本人の友人も多い。
司会はオリヴィアさんという女性で、彼女の誘導がうまかったせいか、私もかなり話すことができた。もともとエミリーさんもパスカル君も早口のおしゃべりだが、彼らの半分くらいは話せたと思う。実は彼らに反論しようとも思ったが、ラジオなので遠慮した。全体にいい雰囲気で終わったと思う。
フランス語ができる方は、このサイトでどうぞ。
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