冬の終わりに来て、冬の始めに帰る
ようやく、帰国した。帰る数日間に急に寒くなった。シネマテークでの「フランスにおける日本映画の受容」を巡る座談会に参加した日、朝起きると寒かった。明らかに夏が終わった感じで、夏用の麻のシャツではもたないと思った。冬の兆しがそこにあった。
座談会が終わったら、完全に体の力が抜けてしまった。この半年の滞在のストレスからすべて解放されたというか。終わってから、わざわざ聞きにきてくれた日仏の友人たちに囲まれてシネマテークのカフェでビールを飲んだが、寒くて首にスカーフを巻いた。帰りには持って来た薄手のコートを来た。
半年前の3月22日にパリに着いてから、ずいぶん寒かった。朝起きると5度くらいの日が5月のカンヌあたりまで時々あった。ウールのジャケットかセーターをいつも着ていたし、厚いコートの日もあった。カンヌが終わって原稿を書き終わり、分厚いカタログや資料と共に厚手のコートを日本に送ったら、ずいぶん気分が軽くなった。
実際、5月半ばから急に夏になった。半袖のTシャツがほとんどで、冷房の効く映画館や美術館用に長袖のシャツを持って歩いた。夏用のジャケットもいらないくらい。これが9月半ばまで4ヵ月続いた。住んでいたアパートの近くの大通りにはマロニエが茂り、暇があるとその下を散歩してベンチに腰掛けた。
前に書いた通り、カンヌの後からは毎日が楽しくなった。友人から友人へとどんどん紹介されて、仕事につながった。驚くべきは、そのほとんどが自分よりずっと若い人々だということ。映画プロデューサーも評論家もシネマテークや映画祭などの関係者も、40代とか30代とかばかり。
こちらはその活動ぶりを見ながら、「すごいですねえ、頑張って続けてくださいね」と言うしかない。考えてみたら私が映画百年の企画をしたり、ルノワールやドライヤーの映画祭や小津百年の国際シンポをやったのは、30代半ばから40代半ばだった。
ちょうどそんな感じで夢中に突っ走っているような日本人やフランス人に、パリでたくさん出会えた。カンヌ以降が楽しかったのは、彼らのおかげだろう。こんな出会いは、予想もしていなかった。
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