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2016年9月24日 (土)

生暖かい日本で:その(1)

飛行機が羽田に着いて、一番最初に思ったのは、「生暖かい」ということ。たまたま雨の後の曇りだったから、空気が湿っていただけかもしれない。しかし、その感覚は翌日も続いた。

東京の自宅はいわゆる「マンション」だが、6カ月住んだパリのアパートに比べたら、何倍も快適だ。トイレも風呂も台所も広いし、何より隣人の音が聞こえない。

私のパリのアパートは、19世紀末にできた安普請の3階建ての2階(ベッド部分のみ3階)だった。だから隣の家の音は、大きな音の響くピアノでなくても、水道だろうがトイレだろうが何でも響く。だから私もとりわけ夜中は音を出さないように気をつけた。

それでもあちこちから話し声はいつも聞こえたし、自分も友達数人をよんで夕食をした時は、酔って大声を出していただろう。お互いの生活音を常に聞きながら暮らしていた。そして、窓からはハエや蚊や虫がよく入ってきた。そんな、あまりに人間臭い暮らしに慣れてしまった。

ところがここは無音というか、まるでSFの世界のようにすべてから遮断された人口的な空間だ。あらゆる野蛮さから遠く、無菌で透明で快適だ。その奇妙な優しい感じ。

一番それを感じたのは、コンビニに行った時。いまさらながら、「すべてがある」ことに驚いた。「スプーンで食べる 焼きとうもろこし」とか「直火で焼いた 焼きいか」とか「長野産茎わさび使用 たこわさび」とか、ほとんど冗談のように、食べたいものが何でもある。しかも安い。200円前後、つまり2ユーロくらい。

こんな店がパリにあったら、私の食事の心配はほとんど解決しただろう。その驚異的な便利さを、誰もが当たり前に享受していることの不思議さ。

通りに出ると、みんな呑気に歩いている。スマホをのぞき込んだり、子供の手を取ってふざけたり、大声で携帯で話したり。パリだったら、すぐに襲われるのではないかと、思わず考えた。

大学に顔を出したら、能天気な学生たちを見て、まさに眩暈がした。この多幸症ぶりは、幼稚園児にしか見えない。それはすべて、東京に到着した時に感じた「生暖かさ」につながった。これからずっと、このヘンな世界で生きてゆくのだと思った。

一つお断り。パリにいた時は、日本の朝に読めるように実は前日に書いて予約していた。これからはその日の朝に書くことが増えるので、アップする時間はまちまちになる。ご容赦を。

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