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2016年9月12日 (月)

これで最後か、ベネチア映画祭(8)

国際映画祭の受賞結果はいつも番狂わせだ。今年のカンヌもロカルノもそうだったし、去年のベネチアも驚いた。理由は簡単で、審査員は監督や俳優が大半だから。だからカンヌでのケン・ローチ作品のように、批評家は彼の映画では中くらいと思っても、映画をさほど見ていない審査員はパルムドールをあげてしまう。

ところが今回の受賞結果は、かなり妥当だと思った。今年は後半に秀作が集中したので、ここにはまだ書いていない作品が多いけど。まず金獅子のフィリピンのラヴ・ディアス監督「去った女」The Woman who Leftは、彼にしては短いが3時間45分の長尺。

白黒の映像で、無実の罪で30年間刑務所に入れられて戻ってきた女の復讐を描く。真犯人のかつての恋人の場所を突き止めて、じっと見つめる女。彼女は付近に住む娘に再会し、ゲイや物乞いの女や鉄くず売りの男に優しく接する。

復讐と赦しのテーマを、ひたすら見つめる女の姿を通じてじっくりと描く。4時間近い長さは、そのために必要なことがよくわかる。ぜひ日本でも公開してほしい。

銀獅子(審査員)賞の「夜の動物たち」についてはここで触れたが、エンタメでありながらアート志向も感じられる作品だった。同じく銀獅子の監督賞は、アンドレイ・コンチャロフスキの「パラダイス」Paradaiseとアマット・エラカランテ監督の「未開の地」。後者については既に触れた。

「パラダイス」は、ナチスの強制収容所を全く新しい視点で描く。これまたシャープな白黒で、描かれるのは死んだ3人の男女。まるであの世で裁判を受けているように、正面を向いて話す。ナチスに協力したフランス人、彼のせいで収容所送りになったロシアの元貴族の女、彼女の知り合いで収容所で働くナチスの青年。

これほどクールにこの時代の狂気を描いた映画は初めてではないか。3人ともそれなりにまともな人々であった。それぞれの視点からの回想も興味深い。

女優賞のエマ・ストーンの「ラ・ラ・ランド」のと男優賞のオスカー・マルティネスのアルゼンチン映画「名誉市民」、脚本賞の「ジャッキー」については既に触れた。審査員特別賞のイラン系アメリカ人女性監督アナ・リリー・アミルポアの「バッド・バッチ」は、未来的な奇妙な映画だった。

メキシコ国境に入った若い女性は、野蛮な一味から右手右足をもぎ取られる。彼女はそれでも義足を使って何とか生き延びようとする。核戦争後に生きる人間の現実だろうか。

マストロヤンニ(新人俳優)賞のパウラ・ビアのフランソワ・オゾン監督「フランツ」については書いた。これも半分白黒。受賞結果も含めて、かなり満足のベネチア映画祭だった。

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