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2016年9月13日 (火)

これで最後か、ベネチア映画祭(9)

もちろんベネチアではイタリア映画をたくさん見た。コンペの20本だけでもイタリア映画は3本ある。映画祭ディレクターのバルベラ氏が地元紙に「今年は巨匠の作品が既に発表済みだったり、まだできていなかったりで、難しかった」と述べているように、確かにレベルはいま一つかも。

一番の注目は、マッシモ・ダノルフィとマルティナ・パレンティの共同監督のドキュメンタリー「スピラ・ミラビリス」Spira Mirabilis。「すばらしいスパイラル」を意味するラテン語だが、世界各地で「永遠」を求めている人々を交互に出してゆく。
ミラノ大聖堂の聖人の彫刻を修復する人々。スイスのベルンで鉄を使ってアフリカの打楽器を作る人々、アメリカでネイティヴ・アメリカンの復権運動をする人々、日本で不死のクラゲの研究をする久保田教授。

はっきり言って脈絡はないし、どんどん場面が変わってわかりにくいけれど、ずっと見ているとある種のありがたみも沸いてくる。こんな映画があってもいい。

対照的にわかりやす過ぎるのが、ロアン・ジョンソン監督の「ピューマ」Piuma。高校3年生で妊娠してしまった若い2人とその両親たちの、出産までのゴタゴタを描く喜劇。泣いたり笑ったり騒いだりで実にうるさい映画だけれど、1974年生まれのこの監督が自分の身の丈で映画を作ろうとしているのは好感が持てる。

コンペではないが、俳優のキム・ロッシ・スチュワートが監督した「トンマーゾ」(アウト・オブ・コンペ)もまたうるさい映画だった。監督が主人公トンマーゾを演じ、長年暮らした恋人(ジャスミン・トリンカ!)と別れてからの病的な日々を描く。

素敵な女性を見ると裸を想像したりとおかしいけれど、監督兼主人公が病気になって大騒ぎするだけの映画は見ていて疲れる。一見、ナンニ・モレッティのようだが、自分と社会を同時に笑うようなモレッティの過激なシニカルさはない。

3本目のコンペはジュゼッペ・ピッチョーニ監督「最近の日々」Questi giorniは、20歳前後の4人の女の子たちを描く。カテリーナがベオグラードで暮らすというので、3人も数日間一緒に旅行する。仲良かったはずだが、旅の途中ですれ違ってゆく。

この監督特有の人間を見つめる優しい眼差しは健在。流れるような移動撮影で人物を捉え、心のひだを繊細に示してゆく。最近のピッチョーニでは一番いいと思うが、終始調子が同じだけに2時間は少し長く感じた。これら4本は、ロカルノで見た「ミスター・ウニヴェルソ」と共に、来年のイタリア映画祭候補だろう。

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