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2016年10月 2日 (日)

『この世界の片隅に』の快い異物感

11月12日公開のアニメ『この世界の片隅に』の試写を見た。監督の片淵須直さんは知り合いということもあり、早く見たいと思った。劇場で流れている予告編も良かったし。

友人だからではなく、間違いなく良かった。作画も演出のリズムも主人公のすずを始めとする人物像も広島弁の声も、どこかゴツゴツした異物感があって、それが不思議とリアリズムにつながってゆくのがいいと思った。

物語は、1944年の2月から45年の8月までを刻一刻と描く。空襲の日などは、日時を正確に伝えながら。主人公は、広島市のはずれから軍港の呉市に嫁入りしたすず。

すずの毎日の日常が描かれる。よく知らない男性に見初められて結婚を承諾し、一緒に暮らすうちに仲良くなる。着物をくずしてモンペを縫い、配給に並び、野草を食べる。ある日現れる幼馴染の哲との再会は、何と情感に溢れたものだろう。夫の心情も含めて、アニメでここまで描けるとは思わなかった。

背景には、刻一刻と迫る戦争がある。空襲警報が鳴り、防空壕に隠れる。45年になるとB-29の激しい機雷で、町中が焼け野原になる。映画は、町全体を何度も俯瞰で見せる。何もなくなった風景に、思わず3.11を重ね合わせてしまう。

そして広島の原爆投下があり、すずたちはその瞬間を呉から見る。その後すずと夫は、地獄図と化した広島を訪れる。日付が進むごとに、いてもたってもいられなくなる。アニメでこれほどドキュメンタリーのように戦争を表現できるとは。

片淵監督のかつての師の宮崎駿のファンタジーとは異なる、リアリズムのアニメかもしれない。すずが姪の晴美と共に空襲に遭った時の表現は、逆に抽象的だがそれゆえに強かった。高畑勲監督の『かぐや姫の物語』で、かぐや姫が貝を割って走り出すシーンを思い浮かべた。

すずがよく絵を描くのもよかった。すずの絵がアニメの表現と重なり、アニメについてのアニメのようにも見えてくる。これは、劇場でもう一度きちんと見たい。それにしても、私はアニメの表現についてまだまだ何も知らない。

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