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2016年10月 5日 (水)

『君の名は。』の保守性

ようやく『君の名は。』を見た。とにかく中高生に人気らしく、興収200億円に迫る勢いという。教えている学生に「私でもわかるかな」と聞いたら「大丈夫です」というので、行ってみた。

確かに最後まで楽しく見た。若い男女が入れ替わるという大林宣彦の『転校生』や『時をかける少女』のような設定はピンと来なかったが、美しい細部の映像で押し切ってしまう。

四谷の綿半野原ビルとか弁慶橋から外苑前の風景、国立新美術館、代々木駅の乗り換え、千駄ヶ谷駅、須田神社など、私がよく知っている場所が写真を撮ったように出てくる。あるいはどこかで見たような、飛騨の田舎の神社や高校や夏祭りの風景。ときおり出てくる、田舎の家の扉や東京の列車の扉が閉まるシーンを下から見るリズム感。

新海誠監督は『シン・ゴジラ』を作った庵野秀明世代とは一回り以上若いだけに、さすがに昭和のノスタルジーはない。その分、新美のカフェやトイレをカッコよく写し、公募展の写真展をモチーフに使うあたりに、今風の安易さを感じたのも事実。

それよりも驚いたのは、物語が途中から飛騨の隕石墜落事件を追いかけ始め、最後は事件自体を美化して終わったこと。それは3年前のこととして語られ、さらに2021年の5年後の主人公たちの姿まで出てくる。

500人が亡くなり、町がひとつ消えてしまったことは、もちろん東北大震災を思わせる。そこの出身の中年男性が消えた村を案内するあたりもそうだ。しかしそれは「美しい」記憶となり、死んだ人々さえもなかったことになってしまう。

『シン・ゴジラ』の現政権擁護的な終わり方とは違うが、恐ろしい過去の忘却が美化によって堂々となされているとは、ある意味で罪はもっと大きい。そして多くの日本人がそれを支持している。先日試写で見たアニメの『この世界の片隅に』は、まさに忘却を禁じた映画だったと、改めて思う。

『永遠の0』あたりからの東宝が製作・配給する映画の根源的保守性について、まじめに考えることが必要かもしれない。

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