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2016年10月12日 (水)

『オーバー・フェンス』の快い脱力感

山下敦弘監督の『オーバー・フェンス』を劇場で見た。佐藤泰志原作で熊切和嘉監督『海炭市叙景』と呉美保監督『そこのみにて光輝く』の次ぐ3部作という。実を言うとこれまでの2本があまり得意ではない。どちらも力作ながら、抒情過多で文学的すぎるように思えた。

その点、『オーバー・フェンス』は力が入っていない。本当はつらい過去を背負う男を描いているのに、快い脱力感がみなぎっている。

それは最初のシーンとその後何度か出てくるカモメの群れからしてそうだ。そして登場人物たちの向こうに見える市内電車や坂と海のある風景や人のいない動物園。半分近くのシーンが撮られる主人公が通う職業訓練校さえも閑散としているし、生徒もみんな手を抜いている感じ。

主人公の白岩(オダギリジョー)は、ある理由で妻子と別れて故郷の函館に住み、職業訓練校に通う。そこで知り合った代島(松田翔太)に誘われて行ったバーで、さとしという名の変わったホステス(蒼井優)と出会う。白岩は、白頭鷲の求愛のしぐさを真似るさとしに惹かれてゆく。

オダギリジョーの無気力さ加減がいい。すべてがどうでもいい感じがよく出ている。そして閉塞した函館で孤独に暮らす女を演じる蒼井の焦燥感もぴたりとはまる。彼女が鳥の求愛を真似て踊るシーンが何度かあるが、彼女以外の誰があの難しいダンスを軽やかにかつ哀しく演じられるだろうか。

本来ならば、この脱力したオダギリジョーが蒼井に会って過去を乗り越えて生きてゆく力を得るところだろうが、それが今一つ機能しない。あるいは彼の過去の痛みも強くは迫ってこない。

だから最後までグータラな感じだけれど、これが山下監督の持ち味なのだろう。観客としては、函館のさえない空気感とオダギリの無気力と蒼井の驚異的な鳥のダンスを脳裏に持って帰ればいいのだろう。

半年も海外にいたせいか、このノリではフランスでは公開できないし、国際映画祭にも出せないなと思った。そんなことはどうでもいいと言われそうだが。

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