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2016年10月 3日 (月)

ルフ展と日本の近代美術

帰国して初めて見た展覧会は、竹橋の東京国立近代美術館の「トーマス・ルフ展」。この私と同世代のドイツの写真家の作品は、これまでにビエンナーレなど内外で見てきた。しかし一度もいいと思ったことはなかった。しかし大きな個展で見るとやはり違う。

ドイツ人やフランス人やイタリア人は「クール」Coolという表現を、相当の誉め言葉として使う。日本語の「クール」はもう昔の言葉だし、主として外見について使うのに比べると、ドイツ人などは精神的な現代的価値に使う。ヨーロッパの美術や映画で「クール」と言われたら、今でも相当の賛辞ではないか。

ルフの作品は、いかにもドイツ人が「クール」と言いそうだ。理知的で冷めていて、美的な写真だ。それも新聞の写真を使ったり、コラージュしたり、宇宙を描いたり、ネットの画像を加工したり、幾重にもひねっている。それを大きな画面で遠慮なく堂々と見せる。

だからどうだとは思ったが、なんとも潔い。東京国立近代美術館の企画展示室全体を使ってやるほどの作家とは思わないけれど。2階の小展示室くらいでよかったかも。

その2階の小展示室では、「奈良美智がえらぶMOMATコレクション」という企画をやっていた。実はそれまでに4階から降りながら常設展で日本の近代美術を見ながら、ルフ展の軽やかさに比して、そのジメジメした醜い戦いのようなものが意外に好ましく見えていた。これが奈良氏のセレクションでは強調されていた。

麻生三郎の、背景に混じるあうような暗い人物像。萬鉄五郎や梅原龍三郎のあられもない醜い裸体。松本俊介の幻想的な失われた風景。

どの絵にも、西洋絵画を必死に真似ようとして、結局のところ湿度の高い、およそ「クール」でないねばねばの絵画を作ってしまう日本人の痛ましい姿が見えてくる。

2階の常設展示はルフ展を意識して、ドイツの写真が多かった。それらの幾何学的なカッコいい構図やフランスのソフィ・カルの知的で軽快な写真を見て、「内なる日本」を噛みしめる自分がそこにいた。

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