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2016年10月26日 (水)

フィルム・アーカイブの仕事を考える

先日、フィルムセンターの講演会について書いたが、そこに勤める岡田秀則さんが『映画という《物体X》』という本を書いた。彼は最初の職場の同僚だったが、映画とフランス語という共通点があったこともあって、長いおつきあいをしている。

一度だけ、彼と一緒に仕事をしたことがある。1996年の「ジャン・ルノワール、映画のすべて。」という企画で、私は既に新聞社に移ってイベント屋になっていたが、彼は前の職場にいた。確か岡田さんは大学の卒論がジャン・ルノワールのはずなので、喜んで参加した。

この映画祭は11月から翌年の2月までフィルムセンターで開催され、ルノワールの全作品と彼をめぐるドキュメンタリーなどを上映した。ところが岡田さんの有能ぶりがフィルムセンターの方の目に留まり、会期の後半に岡田さんはフィルムセンターにスカウトされてしまった。それから約20年。

前置きが長くなったが、岡田さんの初めての本がおもしろいのは、個別の映画や監督の話を全くしていないということ。「はじめに」に「生まれたからには、すべて映画は映画」と書かれている。

フィルム・アーカイブとはいわば映画の保存所だが、その保存庫を最初に見た時のことを岡田さんはこう書く。

「小津映画とピンク映画のフィルムが、同じフロアで、同じ温湿度環境の中で健やかな眠りについているではないか。作られたからには、すべては同じ条件で扱われる。これは素敵な光景だ。それまで、映画を語るとは「選ぶ」ことだと教えられてきた」

私もそうだが、映画好きは、年から年中、「あの映画はいい」「この監督の新作は失敗」「すごい才能がある監督が出て来た」などと語っている。この本はそんなレベルから遠く離れて、すべての映画は保存する価値があると語っている。

そのうえ、保存すべきは映画だけではない。チラシもパンフレットもスチール写真もプレス資料も撮影機も編集機も脚本も監督やスタッフの日記も持ち物さえ、映画に関わるすべてを保存する。それを映画保存の世界では「ノンフィルム資料」というらしい。

「《ノンフィルム資料》こそ映画保存のもうひとつの最前線である。なぜなら、こうして世界のそこかしこで、映画という記憶のモードを支える新しい世代が生まれつつあるからだ」という言葉が「映画はなくても映画史は立ち上がる」という章に書かれている。

ほかにも、フィルムに塗る乳剤には牛の成分が使われているとか、おもしろい細部に満ちているが、今日はここまで。あれから20年たって、岡田さんはとんでもない地点に立っているようだ。

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