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2016年11月 7日 (月)

ボルタンスキーの音と沈黙に浸る

昔、作曲家の武満徹に『音、沈黙と測りあえるほどに』という本があった。私の本棚のどこかにあるはずだが、白金の東京都庭園美術館の「クリスチャン・ボルタンスキー」展を見て、急にこの題名を思い出した。この美術館は2年ほど前にリニューアル・オープンしてから、ずいぶんよくなった。

その頃に見た「内藤礼」展についてはここに書いたが、今度も現代作家のボルタンスキーなので期待して行った。1Fは何と声のみの展示。アールデコの椅子やテーブルやシャンデリアの中に、いくつもの声が聞こえてくる。

「本当は行きたくなかった」「忘れてしまいましょう」「危ないから気をつけて」といった若い男女の小さいモノトーンの声が、あちこちから交差するように響く。意味ありげな内容だが、それぞれは短いフレーズで何か物語があるわけではなさそう。

最初は旧朝香宮邸だから、住んでいた皇族の声かと考えた。しかしもっと普通の人々の詩の朗読のよう。声の調子としては、マルグリット・デュラスの映画『インディア・ソング』に近いか。つまりモノローグの連続。

2Fに上がると、影絵の展示があった。バリの影絵のように切り抜いた骸骨などがあって、その影が壁に大きく映る。そこには全く音がないが、1Fの言葉が脳裏に残る。影の動きは、映画の起源のよう。

その奥には「ドクッ、ドクッ」と心臓音の聞こえる部屋があった。瀬戸内海の豊島のインスタレーションから音だけ持って来たもので、私はそこには行ったことがあった。多くの人の心臓音が聞こえるだけだが、それは数秒ごとに違った音に代わる。実は私は豊島で心臓音を録音したが、私の音も聞けるのかどうか。

新館では、人間の顔の大きな写真が薄い白い布に印刷されていて、あちこちにぶら下がっている。その真ん中に奇妙な金色の大きな布袋がある。そして小さな照明が四方から輝く。ここには音はないが、「人間の叫び」のようなものがどこからか聞こえてくる気がした。

もう1つの新館の展示は、1つのスクリーンの表と裏に別々の映像が写っている。表は海岸を写したもので、風鈴の音の向こうに波の音が聞こえる。奥のスクリーンは森の中で、風鈴の音と共にセミの声が響く。

そしてそこから広い庭に出た。そこは全くの沈黙の夕暮れ。そこから、旧館の各部屋の明かりだけが見える。まさに、「音、沈黙と測りえるほどに」と感じた瞬間だった。

映画祭で映画ばかり見ていた日々が、まるで強制収容所のように思えてきた。この展覧会は12月25日まで。

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