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2016年11月20日 (日)

『牝猫たち』の現代性

日活のロマンポルノ・リブートは、ロカルノで塩田明彦監督の『風に濡れた女』(12/17公開)を、最近試写で行定勲監督の『ジムノペディに乱れる』(11/26公開)を見た。どちらもロマンポルノという枠をうまく使ったユーモアあふれるメタポルノ映画だったので、来年1月14日公開の白石和彌監督の『牝猫たち』も見に行った。

これも田中登監督の『牝猫たちの夜』(72)へのオマージュというからメタ映画のはずだが、これが実に現代的な社会派映画だった。

映画は池袋のデリヘリ風俗店で働く3人の女性の日々を追う。電話1本でどこへでもでかけてゆく彼女たちだが、相手の男たちはどこかヘンだ。雅子のお得意さんは、30前後だが金持ちの引きこもり。里枝をいつも呼ぶのは1年前に妻を亡くした老人で、何もしない。結衣は人気がないが、ある時漫才師志望の青年に声がかかる。

3人の女にもそれぞれに事情があるのがだんだんわかってくる。雅子は実は帰る家がなく、いつもネットカフェに泊まる。里枝は主婦だが、夫が浮気をするのでこの仕事を始めたようだ。結衣はシングルマザーで怪しげなベビーシッターの青年に子供を預ける。

それだけでも十分にリアルなのに、その風俗店に勤める若い男は店の女たちとの会話を録画して勝手に商売する。それは結局ネット上で炎上したり、店長は辞めさせたその店員にネットを使って仕返しされたり。

要するに、出てくる全員から今の日本社会ならではの矛盾がじわじわと出ている。それでも彼らはユーモアを持って何とかその日その日を切り抜けてゆく。そしてその中からドラマが生まれてゆく。

雅子と引きこもりの男との間に不思議な愛情が生まれたり、里枝が老人に殺されそうになったり殺そうとしたり、結衣が漫才師の卵と意気投合したり。思わずがんばれと言いたくなってしまう。時おり挿入される池袋の夜景が目に沁みる。

3人が遊びに行くSMクラブの店のオーナーとして白川和子が出ていたり、老人役を『牝猫たちの夜』に出演した吉澤健が演じていたりというオマケも楽しめる。

そういえば、3人の娘の全員が瘦せ型で胸も小さかったのも「現代性」なのかもしれない。目立つ美人ではないが、みんな魅力がある。

このシリーズのほかの監督に比べて、白石監督は一番若い。それゆえにロマンポルノをからかいながらメタ映画を作るよりも、まじめに今の問題として捉えなおしたのだろう。冒頭に「すべての牝猫たちへ」と献辞が出てくるのは、実はマジだった。

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