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2016年11月17日 (木)

なんでも禅に見えてくる

フランスでは、部屋の中に何も置いていなかったりすると「セ・トレ・ゼン!」(=実に禅だね)と言われる。あるいは黒と白のシンプルな服を着ている人にも言う。要は、無駄のないシンプルなものを指すテキトーな言葉だが、私の「禅」に対する理解もその程度。そこで、東京国立博物館に11月27日までの「禅」展を見に行った。

東博の左奥にある平成館2Fの企画展用展示室は、左右で5000平米を超すほど大きい。そこに300点を超す「禅」関連の作品や資料が並ぶ。前半の多くは禅僧や禅宗好きの戦国武将を描く掛け軸や木彫で、後半は禅の精神で描かれた中国風の絵や工芸。

正直なところ、全部見ても禅とは何かさっぱりわからない。とにかく無数に禅寺があって、その開祖の禅僧の絵や彫刻がある。もちろん白隠の巨大な達磨図はおもしろいし出光美術館でも大量に見た仙厓は愉快だし、終盤の長谷川等伯や伊藤若冲は見ていて惚れ惚れする。

惜しかったのは、後期展示の《瓢鮎図》が見られなかったこと。15世紀の屏風で、瓢箪で鯰を泥水中で抑え込むことができるかという問いかけを描く。上半分に31人の禅僧の答えが文字で書かれていて、ほとんどが「できない」という答え。恥をしのんで言うと、記者時代にこの絵について細かく解説したが、何人かの専門家に話を聞きに行っても全くわからないままに文章にした。

禅とは何かと考えながら展覧会を出たら、漱石の『門』の主人公のような気がしてきた。つまり座禅をしても全く禅の精神がわからない。入口にさえたどり着けない。もちろん、私のようにせっかちに走りながら絵を見るような人間はだめだろう。

ところがその後で見た展覧会が、何でも禅に見えてきた。東急文化村のザ・ミュージアムで12月8日まで開催の「ピエール・アレシンスキー展」。彼などは、戦後のアクション・ペインティングが禅の精神に影響された例ではないか。絵画に外枠を作ったり、分割したり。

マティスやセザンヌの延長線上で、絵画そのものを否定しながら描くということ自体が、禅にも見える。それにしても抽象的な模様を描きながらこれほどのエレガンスを出すのは、やはり天才か。今年79歳の彼が話す姿をビデオで見たが、まさに禅僧に見えた。

この13日に終わった練馬区立美術館の「朝井閑右衛門展」は、禅とは程遠い西洋的なイメージを描いた洋画が並んでいたが、後半の厚塗りの花などを見ていると、「禅」かと思った。実際、いくつかの墨絵も展示されていたし。

しばらくは、何でも禅に見えそうだ。

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