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2016年11月22日 (火)

『海は燃えている』のシンプルな力

来年2月公開のイタリアのドキュメンタリー映画『海は燃えている』を見た。監督のジャンフランコ・ロージは、前作の『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』がベネチアで金獅子賞、今回はベルリンで金熊賞という話題の人だ。見てみると、前作よりもさらにシンプルな作りだった。

最近のイタリア映画では、イタリアの南の島へアフリカから船で大勢の難民がやってくる話はこれまでにもあった。巨匠のエルマンノ・オルミの『楽園からの旅人』(2011)は、閉鎖しようとする教会にアフリカからの難民が住んでしまう。

オルミの映画ではたぶん場所は特定されていなかったが、同じ年に作られた若手監督エマニエレ・クリアレーゼの『海と大地』は、リノーサ島が舞台で主人公たちはそこにたどり着いたアフリカの母子をかくまう。ほかにも同じテーマの作品が数本あった気がする。

今回の作品は、それらと違ってできるだけ劇的な要素を排除して、ランペドゥーサ島(リノーサ島の近く)に住む人々やラジオ局、医師、そして難民救助の様子を淡々と見せる。

手作りのパチンコで遊ぶ子供たちが何度も出てくるが、彼らが難民のことを知っているかもわからない。サムエル少年の父親は漁師で、海に出てタコを取り、それで祖母はパスタを作る(素朴でおいしそう!)。そこにラジオで流れる難民のニュース。

目を悪くした子供は医者の診断を受けるが、その医師は難民救助にもあたっている。パソコンで画像を見せながら、それは大事なことだと訥々と語る。

ラジオ局のディスク・ジョッキーは、島の人々からのリクエスト曲をかける。海に出た息子のためにおばあさんがリクエストしたのが「海の炎」Fuoco ammareで、これは映画の原題にあたる。

難民船から連絡があり、救助艇が近づく。船に運ばれる大勢のアフリカ人。そして船の奥底には何十人もの遺体が横たわっていた。救助されて喜ぶ者、ひたすら泣く者。収容所で出身地ごとにサッカーの試合をしたり、歌を歌ったり。

そしてこれが続いてゆく。たた島の日常を撮っているように見えて、透き通った力強いシンプルさが貫かれている。そこには微妙な抑えた色合いの繊細なカメラがあり、絶妙のタイミングでシーンを切って次につないでゆく巧みな編集がある。見かけによらず、周到に練られた作品に違いない。


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