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2016年11月 6日 (日)

乗り気のしない東京国際映画祭:その(7)

さて、この映画祭については今日で終わりにしたい。今回コンペを初めて全部見てわかったのは、この映画祭は若手中心ということ。16本のうち、初長編が5本もあり、ほかも3本目から5本目くらい。確かディレクターの矢田部氏が邦画2本については、「新人の時期を過ぎ、次のステップを狙える監督」と言っていたはず。

ならば「東京国際若手映画祭」と銘打たないとわからない。カタログやチラシのどこにも若手中心とは書いていない。せっかく若手の作品を丁寧に選んでいても、「有名監督のいない二流のセレクション」に見えてしまう。

実際のところは、ベネチアやトロントの後では若手中心にでもしないと、世界初上映が揃わないのだろう(それでもアジア初上映が5本もある)。ただしそれを明記すると、「ジャンルのない映画祭」という国際映連の第1カテゴリーからはずれてしまうのが怖いのか。

そんな中途半端な都合をコンセプトのようにしているから苦しい。そのうえ、例年フランス、ドイツ、イタリア、アメリカを1本ずつ、それから北欧、中近東、中南米からも1、2本ずつとまるで地図を見ながら選んだような「外交的配慮」が感じられるからダサい。

私の知り合いのフランス人ジャーナリストはこの映画祭に招待されているが、日本映画を中心にアジア映画数本しか見ていない。欧州の映画はベネチアやトロントの「残り物だから」とはっきり言っていた。一生懸命若手を中心に選んでも、発信力はかなり低い。欧米の「若手」作品は日本人向けでしかありえない。

今回の「アジアの未來」部門の最優秀賞はフィリピンの『バードショット』だったが、もしこれがコンペにあったら、星取表で私は唯一星を5つ付けていただろう。ここで書いたように、今年のカンヌはルーマニア映画が2本あったのだから、東京にフィリピン映画が2本あってもよかった。

というよりはアジアを半分以上にしないと、国際的には意味がない。アジア映画ならば、世界初上映も容易なのは、「アジアの未来」部門を見ればわかる。国際映連の第一カテゴリーにこだわるなら、「若手」に絞らない方がいいし、アジア映画中心ならベテランも含んだセレクションができる。普通に選んでも東京から見たらアジアが多くなるのは真っ当だと思う。

今回全部見て、コンペは丁寧に選んでいると思った。しかしこのあたりでコンセプトを根本から変えないと、世界的に意味のある国際映画祭には永遠にならないだろう。

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