非常勤講師ノスタルジア
新聞社を退職して今の大学に勤め始めて8年近くたつが、実は最初に大学で教えたのは20年ほど前だった。そんなことを思いだしたのは、先日ガレルの映画の試写会でその頃の教え子に久しぶりに会ったから。いやあ、懐かしい。
1997年に教え始めたのは、東大の駒場だった。仕事のことを考えて、火曜の朝9時から始まる1限にした。最初の授業の日には、8時半前に着いて誰もいなかったのをよく覚えている。教える対象は、3、4年生。
最初の年の学生は15名ほどだったが、今も連絡先がわかる教え子が4人もいる。そのうち2人は何と私が勤めていた新聞社の同じ部署に入社してしまった。それほど影響力が強かったのだろう。
こちらも1年目は、本当に全力を傾けて教えた。教えたのは当時流行りだった「アートマネージメント」のようなもので、中身は「いかにして文化イベントを企画するか」。自分がやった美術展や映画祭を例に出しながら、必死で講義したと思う。そんな授業は当時の東大になかったから、学生も興味を持ってくれた気がする。
だからその頃の教え子は、本当に懐かしい。といっても20年前だからむこうも40過ぎになっているが、会うと甥か姪のような気がする。人数が少なかったのもよかった。6、7年続けたが、最初の年が一番よく覚えている。
それから5年後くらいに一度東京造形大学で教えたこともあったが、これは1年でやめた。遠いうえに教える時間が夕方に指定されていて仕事に差し支えたことが大きかったが、一番は学生が80人ほどいたこと。これでは学生と親しくなることは難しいし、講義中の私語も多い。
年に一度、中央大学で「文化の仕事」という講義も数年やったが、これは学生数が200人を超した。これは社内異動で記者になった時に後輩に譲った。いずれにしても50名を超すと、単に講演をして帰るだけになる。
今の大学に移ってからは、早大で昨年まで3年間教えた。これは30名ほどだったが、早稲田の学生が予想外に保守的でおもしろくなかったからか、そもそもこちらがあまり情熱がなかったのか、その後に連絡を続けている学生は1人もいない。
非常勤講師というのは、自分の研究室もなく、そのまま教室に行って、まっすぐ帰る。いま考えると、学生との交流は難しいのが普通だと思うが、最初に教えた時の情熱はそれを超えていたのだろう。今はもう、自分の大学の教え子だけで精一杯だけど。
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