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2016年12月 5日 (月)

イオセリアーニの尽きせぬ魅力:その(1)

先日、17日公開の『皆さま、ごぎげんよう』について、「わからないけど、楽しい」と書いた。そうしたら、今日からアテネ・フランセで始まるイオセリアーニ特集上映で、トークを引き受けることになった。イオセリアーニについては、簡単に話すことが難しい。

なぜなら、よく覚えていないから。ダラダラとヘンなギャグが続く。一場面はどこかおかしいが、ドラマチックな構成が欠けていることが多く、場合によっては眠くなる。『皆さま、ごきげんよう』はフランス革命の場面から始まるが、そこに出た俳優が現代のパリのシーンにも出てくる。

昔パリで見た『群盗、第7章』に至っては、グルジアを舞台に中世から20世紀初頭、そして現在と3つの時代(たぶん)が何の説明もなく、目まぐるしく入れ替わる。そのうえ、何人もの同じ役者が演じていて、見ていて眩暈がしてきた。

今回、トークのために数本を見ているが、わかったのは、その同じ俳優が複数の映画に出ていること。いよいよ、イオセリアーニのどれがどの映画かわからなくなってくる。どれもパリの下町でみんなでワインやウォッカを飲んでいるし。

今回見直して驚いたのは、『歌うつぐみがおりました』(1970)。たぶん1983年ごろ、福岡でイオセリアーニの『落葉』(66)と『ピロスマニ』(69)を2本立てで見た。グルジア映画特集だったと思う。それ以来、オタール・イオセリアーニとゲオルギ・シャンゲラーヤの名前は記憶していて(若い時は難しい固有名詞も覚えられる)、数年後にパリで『歌うつぐみがおりました』を見た。

その時は、ヌーヴェル・ヴァーグの初期のようなさわやかな印象が鮮烈に残っていたが、今回見てみたら主人公が他人のような気がしなかった。トビリシに住む打楽器奏者のギアは、魅力的な女性を見ると声をかけ、友人や家族と話し込み、コンサートホールに駆け込んで打楽器を叩く。

本来の目的である音楽を忘れてしまうほど忙しく、毎日が過ぎてゆく。管弦楽団の団長との大事なアポにも間に合わず、人生のチャンスを掴み損ねる。このせわしない日々のなかでの本末転倒ぶりは、自分のこれまでの日々に思えて仕方がなかった。いつも女性が気になる点も含めて。

イオセリアーニといえば、そのサイレント的で不条理なギャグがジャック・タチに似ているとも言われるが、私はその即興的で思いつきのワルノリ的な展開は、ジャック・ロジエに似ているのではないかと思う。そう考えると『歌うつぐみがおりました』が『アデュー・フィリピーヌ』に似てくるかも。


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