イオセリアーニの尽きせぬ魅力:その(2)
前に書いたように、大学生の時に『落葉』と『ピロスマニ』を見た。私は『ピロスマニ』にひどく感動して、この画家について知りたいと思ったが、当時は日本語の文献が皆無に近かった。イオセリアーニの『落葉』の方は全く記憶にない。ところが当時知り合ったばかりの梁木靖弘さんが『落葉』がいかにいいか語っていた。
梁木さんは、コクトーの映画論の翻訳を出版して福岡に戻ってこられたばかり。1回り上の方だが、私の「先生」のひとりだった。
それからこの映画を見る機会はなかったが、今回アテネフランセで30数年ぶりに見たらずいぶん面白かった。ワイン工場に勤め始めた若い主人公ニコとその友人オタルの毎日を描く青春ものだが、細部がおかしい。
映画は曜日が出てきて、その一日が語られる。木曜日、2人が面接に行くと、工場長はビリヤードをやっていて、テキトーに配属を決める。
それから月曜とか土曜とか日曜とか出てくるが、ニコは熟成していない樽を開けるのに反対して工場長に怒られたり、工場の労働者たちが飲むに行くと自分たちの工場のよくないワインが注がれそうになって、慌てて店から逃げたり。
官僚主義的な経営者と労働者の対立のように見えるが、終盤では工場長がニコを「君は正しい」と言ったりもする。一方でニコは工場で出会った隣人のマリナに好意を持つが、美人の彼女にはライバルが多く、いじめられたり殴られたり。
冒頭には田舎でワインを作る人々がドキュメンタリーのように出てくる。明らかにその後の腐敗した都会の工場との対比だが、都会に出てくる人々が馬鹿馬鹿しくかつ愛おしく見えてくるから不思議である。みんな酒好き女好きで大騒ぎ。
この「愛おしい」感じは、『蝶取り』(92)のようにフランスの田舎の金持ちを描いても出てくる。立派な城の城主の従妹が主人公だが、このおばさんは教会でオルガンを弾き、トロンボーンを背負って自転車に乗って、金管楽器の演奏に参加する。
城主は死に、城はモスクワに住む妹の手に渡るが、奇妙な日本人の一団がこれを買う。昔見た時はバブルの頃だったこともあって、日本人を悪く描き過ぎだと思った。今見るとむしろ微笑ましい。日本人も黒人もロシア人も平気で戯画化をしながら、どこか「憎めない」存在に描く。
この作品は相当にとりとめがなく、イオセリアーニの中では傑作とは言い難いいけれど、この「とりとめのなさ」もまた魅力ではある。
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