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2016年12月22日 (木)

秋田蘭画に驚く

歴史が短く、まだまだ研究も進んでいない映画史に比べて、美術史では「再発見」や「再評価」がよく行われている気がする。1月9日までサントリー美術館で開催されている「小田野直武と秋田蘭画」展もその一つではないか。正直に言うと、「秋田蘭画」はどこかで聞いたことがあったが、小田野直武という画家は知らなかった。

この展覧会の副題は「世界に挑んだ7年」。つまり、18世紀後半に江戸で蘭画=洋風画を学んだ秋田出身の小田野が、秋田でそれを広めた7年間を扱っている。会場の解説を読むと、これがなかなかドラマチックな人生に見えた。

まず、1773年に平賀源内が秋田を来訪したのをきっかけに、小田野は江戸へ行く。平賀源内といえば、オランダ製の発電機エレキテルを広めたり、ウナギを夏に食べようと言い出したり、江戸時代随一の学者、発明家、画家として知られる。秋田には鉱山の指導に行ったようだ。

江戸に行った小田野は、何と8か月後に『解体新書』の挿絵を担当する。『解体新書』は、ドイツの医学書のオランダ語訳を杉田玄白らが訳した日本初の西洋医学の本。その挿絵を真似しながら日本版向け解剖図を描いたことになるから、当時は西洋を学ぶ志を持った者たちが、医者も画家も一致団結したのだろう。小田野はそこで秋田から一気に世界の最先端に結びつく。

さらに当時の江戸では、中国人画家の沈南蘋(しん・なんぴん)の西洋風の遠近法を取り入れた絵が流行しており、小田野はその「南蘋派」の手法も吸収する。彼の影響は秋田藩主や角館城代の佐竹家に及び、「秋田蘭画」が広がる。

ところが平賀源内は捕まって獄死し、小田野は蟄居を命じられて秋田に帰り、32歳で亡くなる。つまりは「世界に挑んだ7年間」。そして、彼に影響を受けた司馬江漢の銅版画などが並んでいる。

彼の数奇な運命も面白かったが、秋田藩をはじめとして多くの大名たちが西洋の博物学=本草学に興味を示してネットワークを作っていたのにも驚いた。彼らは蘭癖大名と呼ばれ、その中心に肥後藩の細川家がいた。科学と美術の最新の成果を求めて、植物や昆虫を模写させる大名たちの姿は想像するだけで楽しくなる。

そんな江戸の知的好奇心や創造力を実感できた展覧会だった。残念だったのは、一番有名な《不忍池図》の展示期間が終わっていたこと。精巧な実物大の複製は展示されていたが。映画も美術展も朝の思いつきで見に行くが、古い日本美術に関しては計画性が必要かも。

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