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2016年12月18日 (日)

「宗教映画祭」が予想外の大入り:その(4)

最終的には2124人の入場だったから、「宗教」というテーマは強かった。キリスト教関係のメディアにいくつも取り上げられたのでその読者が来ている感じはあったし、それ以上に「宗教」に関心はあるが実際にはどこにも属してない「宗教予備軍」のような層が動いた気がする。

私自身、今回初めて見たり、数十年ぶりに見直して、いろいろ考えさせられた。一つ思ったのは、女性がキリスト教と愛の両方を信じ過ぎると危ない、ということ。

ラース・フォン・トリアーの『奇跡の海』(96)では、事故にあって半身不随になった夫(ステラン・スカルスガルド)の命令に従って、妻のベス(エミリー・ワトソン)はほかの男性と関係を持つ。彼女はいつも神に質問を投げかけ、自分で答えながらそれを神の声として実行してゆく。教会や村の人々は彼女を排斥する。

この過程が、見ていていらいらするほどの手持ちカメラの長回しで撮られる。神を信じ、夫を尊敬して突き進むと、普通のキリスト教を超えて異端になることがよくわかる。最後に空の上から鐘が鳴るシーンは、まさに宗教を超えた超自然現象だ。

韓国のイ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』(07)は、亡くなった夫の街・密陽で息子と暮らすピアノ教師のシネ(チョン・ドヨン)を描く。シネは、最愛の息子が誘拐されて殺され、教会に助けを求める。そこで「人を許す」ことを学んだシネは周囲の心配を振り切って、殺人犯も許そうとする。

それからシネは精神を病み、自殺未遂。ここに至るまでのあちこちに気持ちの悪いシンボルが埋め込まれていて、見ていて本当にいらいらするのは『奇跡の海』に近い。犯人の娘が何度も出てくるシーンなどは本当にうまいと思う。

どちらもプロテスタント派で2時間半前後と長い。愛と神の両方を合体させて邁進し、気が狂う。それを2人の監督が過剰なまでのコテコテの演出で描いていた。

そういえば、同じプロテスタントでも、ベルイマンの『冬の光』(63)は82分と短いし、端正な映画だ。牧師のトーマスは、妻を亡くして愛人がいるが、関係は良くない。救いを求めた夫婦を救えず、夫は自殺してしまう。キリスト教は無力というようなクールな厭世感に貫かれていて、ドラマのないままに終わる。主人公は男性だからか。

韓国には3割近くのキリスト教徒がいて、中国でも1割に近いらしい。日本は1%前後なので、あまりその存在は感じない。『シークレット・サンシャイン』に写される韓国人の土俗的なまでのキリスト教への熱狂は本当に信じられない。私も永遠に「宗教予備軍」かもしれない。

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