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2016年12月27日 (火)

映画『ショコラ』に考える

1月21日公開のフランス映画『ショコラ~君がいて、僕がいる~』を最終の試写で見た。ロシュディ・ゼムというアラブ系の名優が監督しているのも興味があったが、何よりも、リュミエール兄弟の映画に出ているギャグのコンビが主人公だというのを宣伝の方に聞いて、早く見たかった。

リュミエール兄弟の映画は何と1400本余りが保存されていて、そのカタログには番号が振られている。フティットとショコラの2人組を撮ったのは1138番から43番までの6本で、「ヌーヴォー=シルクで撮影された滑稽場面」の題がついている。

『ショコラ』の最後でも1140番が写る。50秒ほどのこの映像は、手元にあるリュミエール研究所編のDVDで見たことがあったが、映画の最後に見ると、これが何とも味わい深かった。

映画の題名の「ショコラ」は、2人組の黒人の方を指す。肌が黒いからという安易な呼び名だろう。場末のサーカス「デルヴォー」で「未開の大男」を演じていたのを、同じサーカスにいたコメディアンとして実績のあるフーティットが見出し、コンビとして売り出した。

2人が生み出すギャグは、主として黒人と白人の違いを大げさな身振りにした自虐的とも言えるものだが、これが当時の観客には大うけで、パリの「ヌーヴォー・シルク」に高給で引き抜かれる。リュミエール兄弟の映像は実際にここで撮影されたもの。

最初は2人がどんどん有名になってゆく話かと思ったが、だんだんショコラの苦渋が中心になる。黒人ゆえの差別が耐えられなくなり、酒やギャンブルに溺れたり、独立を目指したり。

映画は史実に従って、ショコラの死までを描く。アラブ系の俳優としてフランスで活躍してきた監督ならではの、差別への繊細な感覚が随所に感じられて、その痛ましい人生の軌跡に心を打たれた。

ショコラを演じたオマール・シーがピッタリのはまり役で、フティット役のジェームス・ティレはチャップリンの孫というが、芸人臭さがたまらない。ヌーヴォー・シルクの支配人役のオリヴィエ・グルメも渋い。彼の劇場で2人組を撮るリュミエール兄弟を監督と俳優のボダリデス兄弟が演じているのも見ものだが、実際にはこの時期に撮影しているのはリュミエール兄弟の弟子たちのはず。

後半にフティットが日本女性を真似て「アリガトウ」というギャグがある。あるいは、実際に東洋の女性が出て「つり目」をネタにする場面もある。黒人も日本人もしょせんは笑う対象なのは、実は今も変わらない。

そんな、いろんなことを考えた映画だった。

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