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2017年1月17日 (火)

いまさら押井守:その(2)

フィルムセンターで1日のうちに、押井守が海外で撮影した実写映画を2本見た。台湾ロケの『StrayDog Kerberos Panzer Cops ケルベロス 地獄の番犬』(1991)と、ポーランドで現地の俳優のみで撮った『AVALON アヴァロン』(2001)。

『ケルベロス』はたぶん失敗作と言えるのではないか。台湾の人々や街並みを撮った場面は、まるでホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンの映画のようにノスタルジックに撮られているが、革命に失敗した日本人たちが出てくると、カリカチュアにしか見えない。

主人公は刑務所から出て台湾に行き、元ボスを探す。そこで出会う台湾の美少女(昔の薬師丸ひろ子のよう)。とうとう元ボスを探すが、その再会がギャグのようで全くおかしくない。海老を無限に食べたり、白塗りの男たちがいたりも同じく意味不明。

一言で言うと、革命に失敗した男たちのせつないその後だが、それをえんえんと長回しで撮ってエレキギターの音楽をかぶせるのだから、いささか退屈する。やはりこの監督に実写は向かないと思った。

ところが10年後の『アヴァロン』になると、そうとも言えない。舞台はカラーになる終盤を除いて、ほとんどセピア色で描かれるポーランドのワルシャワ。デジタル処理で相当にデフォルメされている。

さらに、殺された人間は塵のように散ってしまうシーンに見られるように、実写をデジタル処理でアニメのように自由に描いている。そのうえ、描かれるのはコンピューターのオンラインゲームが生きがいの美しい女性。

ちょうどポーランドのキェシロフスキ監督のような謎めいた繊細さで、電脳時代の倦怠が描かれる。その静かな停滞感はある意味ではタルコフスキーに似ているかもしれない。やはりこの監督はアニメ処理がないと、実写だけでは間延びしてしまうのではないか。

ここにはもう押井得意の「革命に敗れた男の彷徨」はない。むしろ、ヨーロッパの周縁の地の持つ豊かさと退廃だ。廃墟となった工場の美しさといったら。それがアジア的な電脳世界と結びついて、人類の暗い未来を暗示する。ラストのコンサートのシーンを見ると、ヨーロッパの映画だと思う。

やはりこの監督は基本的に思想家だ。日本の映画界で、これほど自由に自分の考えを展開する映画をメジャーの資本で撮ることが許されているのは、この監督くらいではないか。

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