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2017年1月11日 (水)

卒論の話:その(2)

前に、自分が大学生の時には一切卒論指導を受けなかったと書いた。その頃のことを思い出したので、今日は卒論ノスタルジアを書く。提出は、今の私の大学と同じく1月10日頃だった。仏文学科なので、仏語の要旨も添付する必要があった。

万事準備のいい私は、既に12月末には仏語要旨も含めてほぼ書き終えていた。原稿用紙にボールペンの手書きだったが、1月になると読み直して、間違いがあると白の修正液で直し、行が変わる場合は1枚分書き直した。

その頃は実家から通っていたが、提出の前日にはオリヴェッティのタイプライターを大学に持ち込んで、同級生の要旨を数名分仏語で打ってあげた記憶がある。当時留学から帰ったばかりの私は、大いに頼りにされた。

さて私の卒論は大学に出したが、恐ろしいことに製本したものが1部手元に残っている。ほかの大学の院に行ったので、提出のために3部製本したうちの1部だろう。題名は「アントナン・アルトー論 ~全体像へのスケッチ」。本文が400字で97枚。註と参考文献が41枚。

長さとしては、今の大学だと本文が100枚以上なので失格となる。当時の私の大学では規定が50枚以上だった記憶がある。何よりの欠陥は、目次がないこと。これでは全容がまるでわからないではないか。

中をめくると、「Ⅰプロローグ」に始まって、「Ⅱ出発点としての苦悩」「Ⅲ文化革命の時代」「Ⅲ異文化のなかで」「Ⅴ<狂気>から明晰化へ」「Ⅵエピローグ」。Ⅲが2つあってⅣがないのだから呆れる。

アルトーは劇作家、演出家、俳優、詩人として知られ、晩年は多数のデッサンを残している。少し後のコクトーのように多方面で活躍した芸術家だが、コクトーと違ってアルトーは精神を病んで暗い後半生を送っている。

私の卒論の目指したところは、当時流行っていたジル・ドゥルーズやジャック・デリダやスーザン・ソンタグがアルトーについて部分的に触れていたものを援用して、彼のあらゆる活動を分析しようとしたもの。ぱっと斜め読みしたが、難しい表現ばかり使っていて、とてもきちんと読む気がしない。

今の私が教師として読めば、75点でB評価だろうか。あるいは仏語文献をたくさん読んでいるので80点でA評価か。まあそんなところ。90点のS評価はとても無理。

卒論の審査の時に仏文学のN教授から「現代思想の未消化な分析が目立つ」と批判されたが、私は「それは先生が現代思想をご存知ないからでしょう」と答えた記憶がある。何という不遜な学生だったことか。そんな失礼な奴は嫌いだ、と今の私なら思うに違いない。

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