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2017年1月14日 (土)

『未来よ こんにちは』の抒情

3月公開のミア・ハンセン=ラヴ監督『未来よ こんにちは』をまた見た。去年4月のパリで見てここにも書いているが(その時は直訳の「未来」)、また見たくなった。最近、この映画と共に同じイザベル・ユペール主演の『エル』が賞レースで好調で、彼女の名前をよく見たこともあった。

実を言うと前に見た時は、同じ監督の『あの夏の子供たち』などこれまでの作品に比べると、衝撃が弱いかなと思っていた。それらと違ってドラマが少なく、高校の中年の女性教師の日常を淡々と撮った映画だから。

ところが今回見てみると、その抒情の強さに体が震えるほどに打たれた。どうもこの女性監督の感性は、私にぴったりなのかもしれない。

とても淡々とした映画ではなかった。実は、イザベル・ユペールが少しずつ家族や身の回りのものを失ってゆく映画だった。ちょうど『晩春』以降の小津安二郎の映画のように、時間が経過するにつれて自分一人になる。

まず、重要なのは移動だ。この映画のユペールは、いささかがに股でスタスタと歩く。とにかくせわしない。実は『エル』でもそうだが、この映画では特に「優雅さ」を封じている。少し上のカトリーヌ・ドヌーヴがかなり太りながらも、「優雅さ」の極みに達しているととは大違い。

歩くだけではなく、車を運転し、バスや電車に乗る。そんな時にふいに流れる音楽に、深く心を打たれる。例えば夫の実家のブルターニュの別荘に衣服を取りに行く時の電車に流れるシューベルトの歌曲といったら。これがもう一度流れる。後で配給の方に「水の上で歌う」という曲だと教えてもらい、その後何度かユーチューブで聞いている。

あるいは、彼女が教え子たちのいる山奥(ヴェルコールというイタリアやスイス国境)に行く時に、教え子が車の中で聞かせるカントリー風のウディ・ガスリーの曲。音が聞こえると、まわりの風景や光が輝きだす。あるいは終盤で部屋に帰った彼女に響く「オーマイラブ、マイダーリン」と歌うUnchained Melody。この監督はシンプルな曲をストレートに聞かせるのが実にうまい。

音楽だけでなく、葬式でユペールが読み上げるパスカルの『パンセ』の一節さえも、彼女がバスに乗って外の風景を見るシーンで見ると、強いエモーションが溢れてくる。声と風景がかくも混じり合うとは。

そういえば、主にフランスとドイツを中心に膨大な哲学者の名前が出てくる。フランスは、パスカル、デカルト、ルソー、レヴィナス、アロンなど。ドイツはカント、ショーペンハウエル、ブーバー、ブルクハイマー、アーレント。そのほかジジェクやユナボマーまで。フランス人にしてはずいぶんドイツ寄りで、このあたりの知的環境を誰か教えて欲しい。

2度目に見ると、最初に挟まれる十年くらい前のシーンが実に生きていることがわかる。映画館でもう一度見たい。

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