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2017年1月 2日 (月)

コテコテの『湯を沸かすほどの熱い愛』

最近映画館で予告編を見ていると、「余命何カ月」とか「残された日々」とかの内容の映画が多いような気がする。つまり死を知らされた人が必死に生きる話だが、当然ながら予告編の時点で既によく泣く。最近流行りの「泣ける」「お涙頂戴」の極みのような気がして、見る気がしない。

中野量太監督の『湯を沸かすほどの熱い愛』もまた予告編でそんな気がして、見る気がしなかった。ところが去年のベスト10とか5に選ぶ人が続出し、報知映画賞では作品賞を撮ってしまったので、慌てて年末に見た。

結果は予想通り、「泣ける」映画ではあった。とにかく不幸のてんこ盛りで、10分おきに泣かせる。娘は学校でいじめに会い、宮沢りえ演じる母は余命2カ月と告げられる。去っていった夫(オダギリジョー)を連れてくると、連れ子がいる。そして娘の本当の母親は実は、というおまけまでつく。

私は昔の大衆的な邦画を見ているような気がした。寅さんシリーズとか、『砂の器』とか『鉄道員(ぽっぽや)』とか『おくりびと』とか。不自然なくらいコテコテにドラマを盛り込みながらも、それぞれは実に丁寧に撮られている。でも、全体としては文学的というか。

閉まった風呂屋の入口に「湯気のごとく、店主が蒸発しました。当分の間、お湯は沸きません」という文字が写る出だしから、ある意味ではすべてありえない。宮沢りえのような美人が東京の郊外の風呂屋に嫁いでいくことも、グータラの夫と結婚することも、勝手に出て行った夫を連れ戻しに行くことも。

終盤の母の病院に関係者みんなが見舞いに行くシーンも、その後の葬式も、すべては作り物だとも言える。それでも最後まで見終わると、心に残るものがあるのはなぜだろう。

それはたぶんすべてのシーンを周到に準備し、子役も含めて細心の注意を払ってその場を役者たちが実際に生きているように演出した監督の力量だろう。まさに監督の「湯を沸かすほどの熱い」情熱が全体を押しているといっていい。最後のシーンは本当にバカバカしいけれど、ここまでやられると押し切られる。

この監督はこの映画が初の商業映画だという。今後、松竹などでメロドラマを撮ったらシリーズにできるのではないか。それくらい「泣き」のドラマを熟知していると思う。私にはコテコテ過ぎたけれども。

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