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2017年1月25日 (水)

『沈黙』を見た理由

マーチン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』を早々と劇場で見た。もちろん最近の彼の映画は封切り時にすべて見ているが、こんなに早く見に行ったのには別の理由がある。

何度か書いたように私には4人の姉がいる。もちろん、誰も映画と関わる仕事はしていない。ところが封切り日の午後、長崎に住む一番上の姉から午前中にこの映画を見たというLINEが来た。それから翌日には福岡に住む三番目の姉からも、同じ連絡が来た。

姉たちは遠藤周作の原作は聞いたことはあるだろうが、マーチン・スコセッシ監督の名前は知らないかもしれない。彼女たちはクリスチャンでもない。なぜ見に行ったのだろうか。長崎では朝一番の上映にシスターたちがずらりと見に来ていたらしい。その長崎の映画館を想像したら、すぐにでも見たくなった。

さて、結果は想像以上におもしろかった。私にとってスコセッシの最近の映画は、設定はおもしろいがちょっとくどく、最後まで見るとどこか疑問が残るような印象がある。今回はそれが違って、残酷さはある程度抑えられながら映像の純度は高く、終盤に従ってどんどんおもしろくなった。

前半は死んでゆく塚本晋也や笈田ヨシなどの静かな強い姿に圧倒された。後半は窪塚洋介や浅野忠信やイッセー尾形の陰影豊かな演技に引き込まれた。

実を言うと、イッセー尾形は一番心配していた。ソクーロフの『太陽』でさえも、どこかコミカルに演じ過ぎてしまっていたから。ところが今回はコミカルであってもそれが知性や老人力とあいまって、何ともリアルいい味を出していた。

塚本晋也も『シン・ゴジラ』でやり過ぎの演技だったので心配していたが、これが実に抑えられた悲痛ともいえる風情を出していた。存在そのものが強烈な笈田ヨシと並んでも遜色がなかった。

そのうえ、台湾で撮られたという長崎や五島や平戸の風景がすばらしい。海や舟を見ていると、溝口健二の映画を思わせるような緊張感を感じた。

後半は信仰というものの奥の深さを、キリスト教的な見方と仏教的な考えを交えながら見せててくれる。ある意味で原作以上に日本人に配慮しているように思う。

残念だったのはパンフで、例えば片桐はいりやSABUなどの小さな役の俳優について全く触れられていない。撮影には京都の撮影所が大挙して協力したというが、そんな話も書かれていない。これはいけない。

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