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2017年1月19日 (木)

いまさら押井守:その(3)

押井守も5本も見るとだいたいわかったが、この監督の映画では極端な設定のなかにいる主人公が、日常を反復する。ドラマはいつも停滞し、結局は何も起こらない。しかしながら『アヴァロン』(2001)や『イノセンス』(04)では、その退廃的な美学が全面を覆っていた。

ところが今回の『スカイクロラ』はそうした美学をむしろ封印している。舞台は例によって近未来だが、主人公たちは欧州連合が雇った民間軍事会社に勤めている。彼らは日本語を話すが、見学にきたスポンサーたちはいわゆる「白人」で英語を話す。ひょっとすると、日本人は将来軍人として欧州に雇われるのかとさえ思う。

主人公たちは「キルドレ」と呼ばれる永遠の子供で、人類のために必要悪のような戦争を強いられている。彼らは死んでも、人造人間のように、似た若者に入れ替えられる。ちょっとカズオ・イシグロの小説『私を離さないで』(とその映画化作品)に設定が似ている。

あるいは主人公たちの疑似戦争は、日本の自衛隊に近いかもしれない。自衛のためで軍隊ではないといいながら、戦車や戦闘機を持ち、訓練を続ける。この映画ではヨーロッパ人に雇われているから、まさにアメリカとの関係を考える。主人公たちが読む「読売新聞」に書かれたニュースも、「反米諸国連合結集」といったいかにも感じ。

それにしても、飛行機同士の銃撃戦の迫力は並大抵ではない。計算されつくされた音響もあいまって、まるで実際に操縦席にいるような感じがする。それに比して、「キルドレ」たちの日常は寂しい。主人公のユーイチは女性の上司や同僚や娼婦と関係を持つが、それも暗示されるだけ。

彼らの悲しい運命が、川井憲次のつややかな音楽と共に語られる。結局、最後まで彼らの反乱はなく、何も起きないままに日常が反復される。その繰り返す時間の経過を楽しむ映画なのか。

「何を言いたいのか」という文句はこれまでにも増して多いと思うが、現代日本の虚構性をリアルにとらえているのは間違いない。この監督の映画は、オタクやセカイ系を超えて時代の空気を大きく反映させている気がする。

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