年末年始に考える:その(2)
神楽坂に住んで、今年の夏で20年になる。その前は約10年間を、武蔵関、高田馬場、行徳、豊洲、白山と転々とした。東京に住んで去年で30年になった。そんなことを考えたのは、年末にデジタル修復版ブルーレイで『東京物語』(1953)を見たから。
この映画は、尾道から老いた両親が子供たちを訪ねる話だが、そこでまず泊まるのは山村聡演じる長男の平山医院。土手の下にあって、両親はこっそり「東京のどの辺でしょうか」「端のほうよ」「そうでしょうなあ、だいぶん自動車で遠かったですけえのう」と話す。さてどこだろうか。
手元にある川本三郎著『銀幕の東京』によると、「足立区の千住あたり。浅草から出ている東武伊勢崎線の堀切駅がカメラでとらえられている」。何度も見たはずだが、駅名は覚えていない。地方から出てきて開業医になったのはいいが、家は荒川土手のあたりがせいぜいということか。
両親が東京に出てきたら、自慢の息子は辺鄙な地区に住んでいたというのは、もちろん『一人息子』(1936)にある。こちらは、この本によれば江東区の砂町あたりらしい。
この本がおもしろいのは、小津の荒川土手への執着を、永井荷風の影響でないかと推測しているところ。荷風の『断腸亭日常』には、荒川放水路が頻出するという。「『東京物語』で東山千栄子が孫と遊ぶ堀切橋近くの土手は、荷風が特に気にいっていた」
川本氏は小津の日記から、この映画を作る直前に小津が荒川の土手を散歩していた事実を述べる。ここで荒川→荷風→小津の流れが忽然と浮かび上がる。
ちなみに、次女役の杉村春子が経営する美容院は、「煙突が何本も見えるところを見ると、どうやら「うらら美容室」は吾妻橋を渡った本所あたりではあるまいか」。そして原節子の住むアパートは外見が出ないので住所は特定できないが、中は横浜の同潤会アパートらしい。
吾妻橋といえば、豊洲に住む時に、住みたかったマンションがあったが、売り切れだったことを思い出す。1990年前後はマンションはどこも買い手が殺到していた。
そんなこんなで、神楽坂の「マンション」と呼ばれるアパートに新築の時から20年も住んでいる。あちこちにガタがきているが、たぶん今後も住み続けるだろう。『東京物語』風に言えば、「まあ、幸せな方じゃのう」「ええ方ですとも」と思っている。とりわけ、最初に住んだ武蔵関の、独房のように窓の小さいアパートを考えたら。
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