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2017年1月26日 (木)

早大への天下りを考える

文科省の前高等教育局長が、早稲田大学教授へ天下ったことが問題になっている。このニュースを聞いた時、ひやりとした人は多いのではないか。実は私も、少しだけ心がざわついた。

私が新聞社から大学に転職して、もうすぐ7年がたつ。もちろん、私の場合はどう考えても「天下り」ではない。新聞社からの働きかけもなければ、大学からの依頼もない。単に私個人に頼まれたから、いろいろ考えて引き受けただけ。

それでもひやりとするのは、まず普通だと大学の専任教員になるのは容易ではないから。今では映画の分野でも、理論系の専任講師や准教授のポストに就くのは、博士号取得者が多い。少なくとも修士は必要。

博士号を持っていても競争が激しいために、専任のポストを得るのは30代後半が多い。つまりそれまでは、大学院に最低5年は行き、場合によっては留学し、その後は博士論文ほかの論文を書きためつつ、待遇の悪い非常勤講師をしながらつなぐことになる。

なかには、非常勤講師のままで専任のポストに就けない人も出てくる。個人的にも何人も知っている。自己責任と言えばそれまでだが、何ともやりきれない世界だ。

そんななかで、私は修士も中退だし会社員を22年もやった後に、教授になった。これは本当に申しわけない。もちろん、働きながら著作を出したり論文を書いたりという若干の「実績」はあるが、たいしたものではない。

一般的には新聞社から大学の教員になるのは、政治部や経済部、外報部などの「編集委員」と呼ばれる名物記者が多い。彼らは定年まで勤めあげ、「ジャーナリズム論」や「国際関係論」などを講じているようだ。記者時代の自慢話をしている者も多いかもしれないが、専門的な本を書いた人がいるのも事実。

私は勤務していた新聞社では、全くのマイナー社員だった。まともな社員はだいたい「次長」というデスク職に就くが、私はそれも経験していない。そのうえ、40代後半での転職。それでも一般的には有名記者と同じく新聞社からの「天下り」のように見られがちだから、後ろめたい。

ほかの業界でも、企業を定年退職後に大学教員になる例はあるだろう。いわゆる組織ぐるみの天下りではなくても、大学の側にそれぞれの業界との関係を求める気持ちはあるのではないか。そうすれば自分がその業界とより深く繋がれるとか、学生の就職に有利になるとか。

役所からだと「天下り」と言われやすいが、役人に専門分野があったり、本当に大学が欲している人材の場合はどうなのか。これは本当に微妙な問題なので、後日もう一度書きたい。

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