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2017年1月 4日 (水)

卒論の話:その(1)

大学の教師になってわかったのは、年末年始が忙しいこと。なぜかというと、卒論の草稿を読むから。クリスマス前に預かり、読んで年末や年始に自宅近くのカフェで指導する。間に合わない学生は、年末や年始に速達で郵送してくる。

私の大学の規定は、400字原稿用紙100枚以上。今や誰も原稿用紙には書かないから、文字数で4万字となる。私のように普段から原稿を書きなれている人間には、1日5000字くらい何とか書けるから、1週間もあれば書けるだろうと思ってしまう。ところが大学生にとっては、4万字は初めてのことでずいぶん大変なようだ。

まず、4月に学生はテーマと概要に加えて希望の担当教員名を出す。私が教え始めた時は、教員の希望は出させずにこちらで決めていた。ある時、ほかの大学の先生から「人間は相性というものがあるから、学生の希望は聞くべき」という考えを聞いて取り入れた。

確かに自分が専門分野と思っていても、学生の方で「あの先生は苦手」とか「アプローチが全く逆」とか思ったら、うまくいかない。そこで希望を出させるようにしたが、これがうまくいった。3年たっても、「この学生は私を避けていた」ことには、教師の側はなかなか気づかない。

今は可能な限り、学生の希望を優先する。卒論指導は、論文の書き方を教えるもので、今更専門知識を教える講義ではないから。それに映画史は例えば美術史と違って、たかだか100年ちょっとしか歴史がない。だから映画の教師は古今東西、万遍なく知っている(はず)という一応の建前もある。

さて、4月に指導を始めても、なかなか書き出せない。テーマ設定が大きすぎたりすると、それを絞ることから始めることになる。私の場合は各学生20~30分で、2週間に1回会う。そうやって「序論」と「目次」ができあがるのは、6月頃。もちろんこの時点でまだテーマが揺らぐ学生もいる。

この頃には中間発表会をやり、ほかの先生の意見も聞く。そこでまた考えが変わる学生も出てくる。卒論には正解はないから、先生によって言うことが逆だったりするし。中間発表会は2年前から始めたが、学生はほかの学生の進行状況も知ることができるので、なかなか有効だと思う。

夏休み明けに、平均したら1万字くらいできているくらいか。それからが本当の勝負になる。今日はここまでにして、この後は後日。考えてみたら、私の学生の時には「卒論指導」は全くなかった。1月にいきなり完成稿を提出だったことを思い出す。

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