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2017年2月17日 (金)

『カリガリ博士』の大きさ

去年末に送っていただいた四方田犬彦さんの新著『署名はカリガリ 大正時代の映画と前衛主義』を、ようやく読んだ。四方田さんは、去年の4月にパリのシネマテークで衣笠貞之助について講演をした。パリにいた私は誘われて聞きにいったが、その内容をさらにくわしく述べたのがこの本だ。

この本は、ドイツ映画『カリガリ博士』(1919)が大正時代の日本の文学や映画に及ぼした影響について書かれている。まず、谷崎潤一郎の短編『人面疽』について述べる。これは1918年に書かれたものだが、ドイツ表現主義にの先駆的役割を果たした『プラーグの大学生』(14)などの影響が濃厚という。

この部分には前段があって、そちらもおもしろい。四方田氏は東陽子という学生から90代の親戚の老婆の話をされ、聞いてみると谷崎潤一郎の昔の愛人で『痴人の愛』のナオミのモデルとなった女性らしい。

彼女は葉山千代子で、谷崎が原作を書いた『アマチュア倶楽部』(1922)の主演女優だった。四方田氏はたくさんの当時の写真を持って病院に見舞いに行く。この章は教え子とのパリでの偶然の再開で幕を閉じる。何ともできすぎた話だが、味わい深い。

四方田氏は「日本の近代文学において、最初の映画青年」としての谷崎を描く。『人面疽』は、ロスに渡って活躍し、日本に戻って来た女優の百合枝が、自分の出ているらしい奇妙な映画の話を聞くという物語。その映画で百合枝の演じる役は、アメリカで娼婦になるが、膝の「人面疽」にかつての日本の恋人が現れるというもの。

いくつもの外国映画に影響を受けたこの小説は、結局映画化はされなかったが、なんと1983年に武智鉄二が『花魁』という題で映画化したという。この映画は当時見たはずだが。そこでは人面疽が何と女性器に現れると書かれているが、記憶にない。いやはや。

次の章の「大泉黒石と溝口健二 1923」は、溝口が1923年に監督した『血と霊』をめぐる話だが、私は原作を書いた大泉黒石という人物を初めて知って驚いた。大泉はロシア人の外交官と日本女性のハーフとして1893年に長崎に生まれ、母が亡くなってモスクワに行く。

それからパリ、長崎、モスクワ、京都と過ごしながら、日本で小説を書き始める。俳優として日活に入り、映画化を前提として書いた小説が『血と霊』という。

もちろん、日本最初の表現主義映画といわれるこの溝口作品は現存しない。四方田氏は原作と当時の評をもとにこの映画を再構成する。それを読みながら、私は大泉の「数奇な運命」にひどく惹かれた。

衣笠貞之助の『狂った一頁』(1926)が3つめの章だが、これについては後日書く(かな)。

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