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2017年2月18日 (土)

「映像」を考える展覧会2つ

「映像」とは何かを考える展覧会を2つ見た。1つは、26日まで東京都写真美術館を中心に開催の「第9回恵比寿映像祭」、もう1つは、明日まで上野の国立科学博物館でやっている「世界遺産 ラスコー展」。

恵比寿映像祭は毎年文句ばかり書いているが、今年も印象はあまり変わらない。いつも気取ったテーマが掲げられるが、今年は「マルチプルな未来」。正直なところ、展覧会を見てもその意味はおよそわからなかった。

一番がっかりしたのは、既視感が強いこと。1980年のズビグ・リプチンスキーの《タンゴ》を80年代後半に日本で見た時は心底驚いた。しかしなぜこれを今上映するのかわからない。エティエンヌ=ジュール・マレイの映画前史の連続写真数点も意味不明。彼の写真を膨大な動画にしたDVDがフランスで出ており、そこには相当に興味深い映像があるけれど。

森村泰昌や澤田知子、金氏徹平といった実力のある作家たちの新作も、新鮮味を欠いていた。なにより、なぜあるのかわからない。とりわけ森村や澤田の自分の姿を無限に増殖させる作品は、もう見飽きた気がした。

いくつか気になった作品をあげる。レイ・レイという作家の膨大な本の装丁をもとにしたアニメーションは、ちょっと古くて新しい感じがあった。もう一つの、中国の日常を描く写真を組み合わせたアニメにも同様のレトロ感が漂う。

ファレンジック・アーキレクチャーというグループの《ラファ 黒い金曜日》というインスタレーションは、ある意味で最も現代的な作品。パレスチナのガザ地区のラファで日常的に行われる爆撃を、衛星写真、テレビ、SNSの動画などからコンピューター上で総合的に再構成し、誰がどこからどこに向けて撃ったのかを示してゆく。

マスコミから個人レベルまであらゆる映像が日々撮影されているのだから、それらを組み合わせる行為があってもおかしくはない。そうすることで、一つ一つの暴力と死が浮かび上がる。

恵比寿映像祭のおおむね退屈な映像に比べて、ラスコーの壁画を見せる映像の楽しいことといったら。再現された真っ暗な洞窟の中で、白い線が光り、牛や馬の生き生きとした姿が飛び出す。それから徐々に光は増し、美しい彩色が見える。

別のシアターでは、動物を描く技法をわかりやすく見せる。もちろん本物は持って来れないけれど、この展覧会自体が洞窟をめぐるのように作られていて、映像の力を最大限に使って2万年前の世界を再現している。

久しぶりにクロマニヨン人という名前を聞いた。その前のネアンデルタール人とか、昔学んだことが蘇ったのも楽しかった。頭が大きく足の短い友人を「ネアンデルタール!」と呼んでいたのを思い出した。

恵比寿映像祭の上映企画には見たいものが毎年あるが、この時期は見る時間が取れないのが残念。

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