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2017年2月11日 (土)

『わたしは、ダニエル・ブレイク』を2度目に見る

去年のカンヌで見ていたが、3月18日公開のケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』を試写で再見した。見ようと思ったのは、カンヌで「パルム・ドール」を受賞した時に、フランスの新聞であまりに酷評されたからだ。

去年のカンヌは『ありがとう、トニ・エルドマン』(6月公開)が絶賛されて、賞の最有力候補だった。ところが結果は無冠に終わり、ケン・ローチのこの新作が最高賞をさらった。この監督は既にカンヌで最高賞を得ていたこともあって、やっかみも含めてこの受賞には非難が起こった。

このことは既にここに書いたが、「ルモンド」や「リベラシオン」などのまともな新聞に「旧左翼の古びた教条主義」とか「ワンパターンの社会派」とか書かれた。私にはいくら何でもけなし過ぎに思えたので、もう一度見て確かめたいと思った。

見て一番驚いたのは、多くのシーンを見逃していたか、忘れてしまっていたこと。英語字幕で見たこともあるが、細部を覚えていない。国際映画祭で1日に3、4本も見ると、やはりいけない。

この映画は59歳で心臓病で働くことのできなくなった大工のダニエル・ブレイクと、子供2人を抱えて必死で生きるシングルマザーのケイティの日々を克明に描く。ところが私はこの2人が出会った場面を覚えていなかった。

それからダニエルの隣に住み、中国からブランドのスポーツシューズを密輸入する黒人との出会いも記憶になかった。たぶん始まって10分たったあたりにどうも「空白」が訪れていたらしい。

今回は、見ながら何度も泣いた。まずケイティがフードバンクで食料品をもらっているうちに、無意識に缶詰を開けて食べてしまうシーン。彼女が売春を始めた現場でダニエルと会う場面。最後の教会の朗読などなど。

ケイティはロンドンでホームレスの宿泊所で暮らしていたが、役所にニューカッスルなら安いアパートがあると聞いてダニエルの住む町にやってくる。役所でアポに遅れていじめられているのをダニエルが弁護して2人は出会う。

ケイティの暮らしぶりはあまりにも痛ましい。ダニエルは長年連れ添った妻亡き後の日々を淡々と送っている。彼は役所の官僚的な判断で支援金を失いかけるが、ジーンズを履いてどこへでも歩いてゆく。

あえて「ワンパターン」と言えば、全体が敵と味方にはっきり分かれているところか。役所対庶民、デジタル対アナログ。

それでも日本においては、これほどの政府からの支援がないこともあり、「ワンパターン」と批判することはとてもできない。むしろ、生きるうえで人の優しさの大きさをしっかりと感じることのできる映画だと思う。

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