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2017年3月29日 (水)

『アムール、愛の法廷』の快い抑制

5月13日公開のフランス映画『アムール、愛の法廷』を見た。2年前のベネチアのコンペで見て好きな作品だったが、公開が決まらなかったので残念だと思っていたら、ようやく公開になった。監督はクリスチャン・ヴァンサン。

この監督の『恋愛小説ができるまで』(1992)を見た時は、その即興的なテンポの良さとユーモアにロメールの再来かと期待したが、その後は彼の作品は公開されなかった。最近の『大統領の料理人』(2013)は、楽しめたがちょっと作り過ぎな感じがした。

その監督が『恋愛小説ができるまで』の主人公のファブリス・ルキーニを再び起用して作ったのが、この映画。ルキーニは厳しい判決で有名な地方の裁判長ラシーヌ役で、彼の裁判の陪審員に6年前に世話になった女医がいたことから、恋の物語が始まる。

その一方で、娘を殺した罪に問われている27歳の男の裁判は、粛々と進む。普通は出てくるだけでおかしいルキーニが、ユーモアを封印して厳しい裁判官を演じているうえに、風邪で体調が悪くセキばかりしている。

見ていて何よりおもしろいのは、陪審員として出てくる10名ほどの人々。インテリ風の男もいるが、多くは本当に田舎の普通の人々で、ドキュメンタリーを見ているよう。フランス人がカッコいいとかお洒落とかいうのが、幻想に過ぎないことがよくわかる。

裁判は、裁判官や判事、被告、弁護士、陪審員たちの人生の断片を淡々と見せながら、判決が出てサラリと終わる。ラシーヌ裁判長の恋は、進んだような進まないような。それでも終盤の女医の振る舞いに嬉しくなる。

厳しいはずの裁判長は意外に知性を発揮して尊敬され、携帯電話ばかり気にしている弁護士も鋭い追及を見せる。最初は悪い男に見えた被告も、そうではないかもしれない。すべての偏見が揺らいでいるところで、愛の予感がふいに沸き上がる。

フランスの田舎の普通の人々の抱える人生の真実を、快いほどに抑制されたタッチのなかに垣間見せる秀作である。98分という、最近の映画には珍しい短さもこの端正な映画にふさわしい。

そういえば、女医はデンマーク出身という設定だが、彼女が「この国では手を握ってはいけないの」というセリフは、明らかにルノワールの『ゲームの規則』の館のウィーン出身の妻が言う「この国では抱擁は許されないの」から来ている。また、『緑色の光線』などロメールの映画によく出ていたマリー・リヴィエールが、裁判長の奥さん役でほんの少し出ていたのも嬉しかった。

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