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2017年3月 2日 (木)

ナビ派を楽しむ

丸の内の三菱一号館美術館で5月21日まで開催中の「オルセーのナビ派展」を見た。19世紀末のこのグループは、もともとボナールを始めとしてヴュイヤール、ヴァロットンなど個人的に気になる画家が多い。ましてやオルセーの所蔵品が80点も来るのならと出かけた。

印象派やポスト印象派だと、アメリカの美術館も相当いいものを持っている。あるいはマティスやピカソもそうだろう。しかしその間のナビ派は少し地味なせいか、名品の多くはフランスのオルセーにあるのではないか。

ナビ派といえば、フラットな画面に装飾的な模様が印象的。極めて日常的に自然や女性を描きながら、神秘性への志向も強い。そのすべてが日本美術に近いのかもしれない。

副題は「美の預言者たち―ささやきとざわめき」だが、「ささやきとざわめき」はベルイマンの映画『叫びとささやき』を思わせる。「ざわめき」は仏語を見ると「fracas」なので、直訳したらむしろ「騒動」や「喧騒」だろう。いずれにしても、静かな活動をしながら、いつの間にか世の中を騒がせる人々を指す感じか。この展覧会を見ると、この副題の意味するところがよくわかる。

会場では、まずゴーガンが来る。昔はゴーギャンと言っていたが、フランス人の発音を聞くと、それは間違いのようだ。あるいは「ゴガン」がより近いかもしれない。

それはともかく、ゴーガンは派手な色彩感覚や、自然や女性を異教的に描く感じなど、ナビ派と共通するものがある。ブルターニュ地方のポン・タヴァンでナビ派となる画家たちと出会ったゴーガンは、その後タヒチに出かける。

それから、庭や室内の女性や子供を描く絵が並ぶ。一番ナビ派らしいのは、屏風のような連作だろう。例えばピエール・ボナールの《庭の女性たち》シリーズやエドゥアール・ヴュイヤールの《公園》シリーズなど、まるで人物が装飾的な風景と同化し、溶けていくようだ。

モーリス・ドニの《ミューズたち》は1点ものの油絵だが、秋の紅葉と女性のドレスと肌が模様のように織りなされている。この退廃的な雰囲気はまさに「世紀末」。第一次世界大戦で貴族階級が破壊される前の、プルースト的な世界である。

そのほか、この美術館の個展で見て感激したヴァロットンの極めて映画的な絵画と再会できたのも嬉しかった。《ボール》という絵はまさに映画の1シーン。考えてみたらナビ派の時代は、映画が発明されて広まった時期と重なる。やはり、フランスの初期映画と当時の絵画の比較研究をやらねばならない。

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