N君のこと
大学に移ってから、初めて教え子が亡くなった。3年前に卒業したN君だ。大阪に勤務していたのは知っていたが、この知らせを聞いて絶句した。私の知る限り、本当にみんなに愛された学生だったから。
彼の人懐っこい笑顔を思い出す。年によって学生の雰囲気はずいぶん異なるが、あの年は女子が元気で男子はおとなしく生真面目な学生が多かった。
夕方によく中庭で理論系の男子数人が集まって見た映画の話をしていたが、N君はそのうちの一人だった。1時間以上も話していることもあった。彼らは根っからの映画好きだったと思う。N君は日活ロマンポルノとかやくざ映画にも詳しく、学生主催の映画祭の時に大活躍した。日活や松竹の方とも知り合って好かれていた。
大学の教師は、実は教え子のことは本当は知らない。誰と一番親しかったのか、彼女がいたのか、どんなバイトをしていたのか、考えてみたら何も知らなかった。
4年生の時、2週間に1度、卒論の指導で20分ほど話していた。彼はダグラス・サークについて書いた。日本でのサークの受容について、戦前から雑誌や新聞を虱潰しに調べた。そして「メロドラマ」とは何かに迫った力作を書いた。
映画学科の理論系には賞が4つか5つある。私は彼の論文は2番目にいいかなと思ったが、同僚の先生との協議の結果、4番目の賞をもらった。ところが授賞式の時に彼は不服そうだった。
後で聞いてみたら「Sに負けるなんてありえない」と正直に言った。S君は2番目の賞をもらっていた。私はS君の論文の良かった点を述べたが、彼は納得しなかった。
卒業後は半年ほどイギリスに留学した。そしてそこで得た英語力が役に立ったのか、外資系の会社に就職した。就職が決まった時に、銀座でイタリア料理をご馳走したことがある。
たまたま新聞記者2人と食べる予定だったが、彼の就職を祝いたいと思って連れて行った。レストランに行くと店の前に立っていて、「こんな高級店には1人ではいれません」と言った。帰りには「こんなおいしいものは食べたことはありません」と言っていたが、それは彼の気遣いだろう。あれからもう1年以上たつ。
彼は一般企業に勤めた後に、映画の世界に戻ってくるような夢を描いていた。彼のような若者が映画界に行って欲しかったと今さらながら思う。
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コメント
N君。成瀬監督作品では『鶴八鶴次郎』が一番好き。就活でつらかったときに『トラック野郎』シリーズに救われる。『その場所に女ありて』を渋谷で初めて見て、大阪の鈴木英夫監督特集上映に通う。新宿のバーでビートルズのアルバムを聴く。大原麗子の魅力を語る・・・。新しい世界を知ることを心から楽しんでいるように見えました。古賀さん、卒論の賞ことは本当に悔しがっていました。「いつか、見ていろよ」という思いをこめて、悔しそうに話していたような気がします。私も、N君は、映画の世界にいつか行くだろうと思っていました。
投稿: 高木希世江 | 2017年3月 6日 (月) 18時39分
N君と大原麗子のことを熱く語り合ってとても楽しかったこと、思い出します。
投稿: 石飛徳樹 | 2017年3月 7日 (火) 08時53分