卒論の話:その(5)
今年の卒論は、これまでで一番レベルが高かったように思う。飛び抜けた論文が毎年必ず1本はあり、いい年は2、3本ある。今年は、甲乙つけがたい論文が4本もあった。
珍しい点から言えば、名古屋のマキノ中部撮影所についての論文が抜群だった。1920年代に名古屋に作られた撮影所について、当時の『名古屋新聞』や『新愛知新聞』を中心にあらゆる雑誌を調べて、製作された15本について詳細に述べたものである。
従来の日本映画史には、この撮影所についてはほとんど触れられていない。もちろん私も知らなかった。その意味では日本映画史に新たな1ページを記したと言えよう。学生の実家のそばにその撮影所があったことが論文執筆の理由のようだが、戦前の地方の撮影所について調べるとは専門家のレベルである。
次に驚いたのは、ウンベルト・エーコ論だった。クリスチャン・メッツと比べて、エーコの映画記号論は日本ではあまり知られていないが、彼の三重文節を用いた理論がとりわけデジタル時代において映画の分析に有効であることを論じた。英語の本もいくつも読み込んだ本格的な論文で、口頭試問では我々教員と侃々諤々の討論になった。
亀井文夫と今村昌平を中心に、日本の記録映画史の矛盾と問題を論じた論文は、研究者的なレベルから見ると一番上だった。当時の雑誌や新聞から最新の論文まで調べ尽くし、この2人の功績と限界を精緻に論じていた。
大林宣彦論も読みごたえがあった。大林がなぜこれまで評価が低かったのか、彼の映画の魅力はどこにあるのかを8万字近い長さでじっくりと迫ったもの。ある意味では4本のうちで最も学生らしい、直接的な表現が快かった。
いずれにしても、4年前にあんなに幼かった学生がいつの間にこんな知識と思考を養ったのかと驚いてしまう。少なくともこの4本の論文の内容は、私は教えた覚えがない。その意味では嫉妬にさえ駆られる。やはり学問は、最終的には一人で身につけるものなのだろう。教師はそのきっかけさえ与えることができたら十分。
そういえば、私も大学の授業で学んだことはほとんど記憶にない。前に書いたブーヴィエ先生にフランス留学の契機をもらった以外は。
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