村上春樹の新作は:その(2)
『騎士団長殺し』は、まず題名からして村上の小説としてはわかりにくい。これまでのポップな感じがおよそなく、まるでかつての大江健三郎の小説の題名のようだ。これはモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』から来るというのは、音楽好きの村上らしいが。
最大のポイントは、これが実はこの音楽をもとにした日本画の題名から来ていること。主人公の「私」は画家である。正確に言えば、画家志望だったが金持ち向けの肖像画を手がけており、妻が去った後に友人の父親で著名な画家・雨田具彦の住んだアトリエ兼住宅に住むことになる。
「騎士団長殺し」は雨田が描いた絵の題名だ。これはオペラをモチーフに描かれたもので、ドン・ジョヴァンニ=ドン・ファン、彼が恋するドンナ・アンナとその父で殺される騎士団長、ドン・ジョヴァンニの召使レポレロなどが描かれている。問題は、これが舞台を飛鳥時代に移し替えられた日本画だということ。
雨田は洋画家として1930年代にウィーンに留学するが、帰国後は身を隠して戦後に日本画家として有名になる。「私」が借りるアトリエに長年住むが、そこの屋根裏に隠された未発表のこの絵を見つける。
ほかの登場人物としては、近くに住んで「私」に肖像画を依頼する免色(めんしき)という謎の富豪。同じく近くに住む小学生の秋川まりえは「私」が教える絵画教室に通っており、免色の肖像画を終えた後は彼の依頼でまりえの肖像画も描くことになる。
物語はほとんどそれだけ。「私」の住む家の庭には祠があり、そこには隠された大きな穴があった。この穴と「騎士団長殺し」の絵の人物が、まりえの失踪をきっかけに「私」の心の中で動き出す。
村上らしい時代の刻印をあえて探すならば、雨田具彦の経歴だろう。1939年にウィーンで恋仲のオーストリア人女性と共に反ナチ運動に加わっていた雨田はゲシュタポに捕らえられ、日本に強制送還される。雨田の弟はピアニストだったが、雨田がウィーンにいた時に召集されて南京に行き、帰国後自殺する。
そして雨田は日本画家に転向する。この本では一般的な日本画の起源について相当くわしく論じられている。「外来の洋画が登場して、それに対抗すべきものとして、それと区別するべきものとして、そこに初めて『日本画』という概念が生まれたのです」
この小説ではほかにも「日本」を意識した場所がある。上田秋声のあまり知られていない『春雨物語』で、これが祠の地下の世界の説明となる。あるいは「私」の乗る車は「トヨタ・カローラ・ワゴン」という国産大衆車。これは、免色の銀色のジャガー、ガールフレンドの赤いミニ、友人の雨田の黒い旧式のボルボなどと比較した時に歴然だ。
こうした「日本」が何を意味するかは次回書くが、この小説をめぐる別バージョンの文章が本日朝10時過ぎにWEBRONZAにアップされるので、ご一読を。
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