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2017年3月27日 (月)

『バンコクナイツ』再見

富田克也監督の『バンコクナイツ』を劇場で見た。これは既に昨年8月にスイスのロカルノ国際映画祭で見ていたが、実を言うとなぜか記憶が薄い。大事なシーンを見逃したような感覚があったので、もう一度見に行った。

ロカルノで見た時は、その日は既に2本も見た後だったし、上映後は監督へのインタビューもあったので、どこか上の空だったようだ。今回見てみるといくつか見落としたシーンもあったし、何より1回目よりずっとよかった。

『サウダージ』を見た時、だらだらとした田舎の日常から焦燥感が募ってゆき、いつのまにかドラマが立ち上がるさまに驚いた。『バンコクナイツ』を最初に見た時は、外国のせいかそのドラマの磁力が弱い気がしたが、そんなことはなかった。

むしろタイという異国を舞台に、日本及び欧米との関係、バンコクと地方、タイやカンボジアの歴史などが重層的に浮かび上がる。今回は演じる人々が全般にぎこちない印象を与えるが、それがむしろドキュメンタリーのようでいい。

最初はバンコクの日本人歓楽街が舞台。ラックは昔の恋人オザワと再会し、心が揺れる。ラックはオザワが仕事でラオスに行く時に、自分の田舎のノンカーイに連れてゆき、家族を紹介する。オザワはラオスに行くが、連絡が途絶える。そしてバンコックでの再会。

ところどころに不可解なシーンや人物が出てくる。例えばオザワがノンカーイで出会う死んだはずの老人。あるいはラオスで出会う謎のテロリストたち。それらが実は歴史的な背景があることがパンフを読めばわかるが、わからなくても不思議なリアルさは感じ取れる。

時おりはいる音楽もいい。ノンカーイのバーで演奏されるタイ語の音楽や、近所の青年が出家する時の摩訶不思議な行進のコーラス。永遠の楽園と隠された地獄が行き来する。タイの監督、アピチャッポンの世界に近づいてゆくよううだ。

私は富田克也監督の恐るべき深化に驚いたが、タイの観客はどう見るのだろうか。やはり外国人監督のエキゾチズムや自分勝手な幻想を見るのだろうか。いつか聞いてみたい。

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