« 『狂うひと』の狂気:その(2) | トップページ | 「ゲゲゲの人生展」の水木しげる »

2017年3月16日 (木)

『ローマ法王になる日まで』に考える

6月3日公開のダニエーレ・ルケッティ監督『ローマ法王になる日まで』を見た。ナンニ・モレッティの弟子筋のこの監督は、『イタリア不思議旅』(1988、フランス映画社配給!)で日本でも鮮烈なデビューを果たしたが、その後はあまりぱっとしなかった。

その後、最近になって『マイ・ブラザー』(07)などが東京国際映画祭やイタリア映画祭で上映されたが、いつの間にか手堅い職人タイプの中堅になっていた。

それでも見に行ったのは、ローマ法王の映画ということと、フランシスコ法王がアルゼンチンの出身で70年代から80年代の軍事政権が描かれるから。ローマ法王選出(コンクラーベ)のドラマは、何と言ってもナンニ・モレッティの『ローマ法王の休日』(2011、何という邦題!)が抜群におもしろかった。

あのコンクラーベの時のバチカンの混乱をまた見たいと思ったのだが、この映画の大半はアルゼンチンが舞台だった。終盤にフランシスコが選出される時に数分だけコンクラーベの場面が写るのみ。それはもちろんモレッティのシニカルなタッチと違って、実にオーソドックスで感動的なものではあったが。

アルゼンチンの軍事政権については、『オフィシャル・ストーリー』(85)にしても最近の『瞳の中の秘密』(09)にしても、海外で話題になるアルゼンチン映画の多くはこれを扱う。一昨年のベネチアで銀獅子賞を取った『一族』は、軍事政権終了直後の混乱を描いていた。

『ローマ法王になる日まで』は、アルゼンチンのブエノスアイレスのイエズス会管区長だった若きベルゴリオが、軍事政権に立ち向かう立ち向かう姿を描く。教会内にも軍事政権に近い者がいて、仲間や友人が次々に謎の失踪を遂げる。その中でベルゴリオは海軍大臣に脅しをかけたり、大統領に直訴したりしながらも、何とか生き延びる。

あえて暴力的なシーンは写らないが、教会を取り巻く権力の怖ろしさをひしひしと感じる。失踪者たちが飛行機から次々と海に投げ落とされるシーンは忘れられない。この時期のアルゼンチンを単なる被害者の立場でなく、半分内側から描いたものとして貴重なのではないか。

そんな苦難を経て、いつの間にかローマ法王になってしまう。彼が選ばれる瞬間は、ストレートに心を動かされる。試写会の帰りに、「結び目をほどく聖母マリア」の絵の小さな複製をもらった。これはベルグリオが軍事政権崩壊後にドイツに留学した時に出会ったマリア像だが、ここもいい場面だった。

昨晩、たぶん数カ月ぶりに酒を一滴も飲まなかったせいか、何となく真面目な文章になった。

追記:『一族』は『エル・クラン』の邦題で日本でも昨秋公開されていた。

|

« 『狂うひと』の狂気:その(2) | トップページ | 「ゲゲゲの人生展」の水木しげる »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/65010197

この記事へのトラックバック一覧です: 『ローマ法王になる日まで』に考える:

« 『狂うひと』の狂気:その(2) | トップページ | 「ゲゲゲの人生展」の水木しげる »