死んでもネットは生き続ける
このブログは、普段は毎朝書くが、数日前に書いてアップ日時を予約していることもある。春休みなど時間がある時は、書き溜める。新学期は朝9時から所沢でガイダンスという日があるので、朝は書く時間がない。
短い新聞記者の時、「予定稿」の存在を知った。例えば有名人が亡くなりそうな時には、前もって準備しておく。あるいは「ひまネタ」というのもあった。急がない、いつでも出せる内容のものは、原稿が足りない時のために取っておく。
私も時々思い立って、いつでも使える内容を書きためる。だいたい「ノスタルジア」=思い出(+少し自慢)話が多い。あるいは、試写で見た映画に対して微妙な感想を出す場合には、わざと遅めに出すこともある。
いずれにしても、書いた日とアップする日が違うことは多い。だから私がある時急に亡くなっても、設定によっては数日後にアップされることもあるかもしれない。それは少し気持ちが悪いと思うので、今ここに書いておく。
例えばパリに行く飛行機が落ちた翌日に、「パリに着くのは1年ぶりだ」などという書き始めで、33年前にパリに行った話が載らないとも限らない。
もちろん、死んでもこれまでに書いたブログは残るし、コメントも載せられるはず。もしパスワードがわかれば、誰かがこっそり続けることも可能だ。
そんなことを考えたのは、ここに書いた教え子のN君が亡くなった時、ご両親は警察経由でスマホのパスワードを調べてもらい、ラインやメールで密な連絡を取っていた人々に彼の死を知らせたという話を聞いたから。
確かに親には息子の友人の連絡先はわからないから、普通だとその死を知らせることさえできない。ご両親はスマホから、まず、数日後に会う予定だった同級生に連絡を取った。それがみんなに広がって私も知った。
数年前に美術作家の友人が亡くなった時は、親しかった画廊の方が、そのことをフェイスブックのタイムラインに載せていた。確かにこうすることで、知り合いに一挙に知らせることができる。さらにその回顧展が開かれた時は、家族の方がその知らせを載せていた。
そのフェイスブックには、毎年、誕生日になると知り合いから「そちらの世界はいかがですか」といった言葉がいくつも並ぶ。なんだか本当に会話をしているみたい。人が死んでも、ネットは生き続ける。妙な世の中になった。
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