『美女と野獣』まで見る
最近は学生に「面白かった映画は?」と聞いて挙がった作品は、基本的に見ることにしている。ビル・コンドン監督の『美女と野獣』は予告編を見て既にうんざりしていたが、TOHOシネマズが6回で無料になったので、行ってみた。
結論から言うと、とにかく最初から最後まで盛り沢山で、見て損はなかった。実を言うと、『美女と野獣』はコクトー版以外は見たことがない。レア・セドゥー主演版も今回の実写版のもととなった1992年のアニメ版さえも見ていない。だからシンプルで上品なコクトー版に比べたら、今回の映画は和食とフランス料理くらい違った。
もともとの話は、今では映画になりにくいはず。野獣に変えられた王子が、バラを盗んだ父親の身代わりとしてきた娘ベルと仲良くなり、真実の愛を見出して王子に戻るという神話的なものだから。
ところがこの映画は、ベルを一方的に好きになった男ガストンを悪者にして、彼に扇動される馬鹿な村人たちを描く。さらに野獣の住む城の中には、箪笥や燭台や置時計などに変えられた家臣たちがいて、いつも大騒ぎ。
何かあるとエマ・ワトソン演じるベルが歌い出し、箪笥になった家臣たちさえもそれに合わせる。あるいはガストンも仲間たちと歌うし、野獣も歌う。ミュージカルだからしかたがないが、遮二無二乗せられる感じ。
最後には、ガストンを中心にした村人たちと、変身させられた野獣の家臣たちが戦うアクション映画となる。そして魔法が解けて王子とベルが結ばれ、派手に歌う。
おもしろかったのはベルが本好きで、『ロメオとジュリエット』の一節を暗唱すると野獣が反応し、巨大な書庫に案内するところ。いまどき、主人公を本好きにするなんて珍しい。野獣が魔法で連れてゆくパリで、かつてベルの母親がコレラにかかり、父親はやむなく娘を連れて家を出たという過去の再現にも驚いた。やはりハリウッド的には母の不在を説明する必要があったのだろうか。
それから、村人にも家臣にも黒人が混じっていたのは今風だ。ラテンかアラブ風の顔もいたが、さすがにアジア系はいなかった。今風といえば、戦いの場面で、村人の中に女装で喜ぶ男がいて、家臣が「自由でいいのよ」という場面などもLGBTに配慮したのだろう。そんな背景を考えることも楽しかった。
毎日新聞の「食べなれた定食を特盛りで出された気分。見た目は豪華でも味はいつも通り」という(勝)の評に同感。
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