『はじまりへの旅』の楽しさ
予告編を見て、見たいと思っていたマット・ロス監督の『はじまりの旅』をようやく劇場で見た。山奥で暮らす一家が、文明社会に出てきて摩擦を起こすという設定自体が、見たいと思った。監督は俳優でもあるマット・ロス。
ヴィゴ・モーテンセン演じる父親は、6人の子供を森の中で育てる。子供たちは自分たちで獲物を取り、調理する。その一方で、『カラマーゾフの兄弟』を読んで父の質問に答えたり、家族全員で音楽を演奏したり。病院に入っていた母が自殺したという連絡を受け、彼らは火葬して欲しいという母の遺言を守るために、自家用バスに乗って都会にやってくる。
こう書くといかにも面白そうだが、森の中の生活の描写はいささか大ざっぱ。その分、家族全員でノーム・チョムスキーを尊敬し、長男はグレン・グールドの弾く「ゴールドベルク変奏曲」やヨーヨー・マの奏でる「無伴奏チェロ組曲」が好きなど、アメリカのインテリ好みの趣味を次々と披露するのがおかしい。
チョムスキーを信奉する父親の考えは、資本主義やグローバリズムを非難する現代の左派インテリ特有のものだが、文明自体を否定し、自然に帰れと説くゴリゴリのカウンター・カルチャーも加わっているのでまるで60年代のヒッピーを思わせる。あるいはアメリカにはアーミッシュのような共同体もあるので、そういう文化のイメージか。
一家はまず父親の妹の家で揉め、さらに葬式で大騒ぎを起こす。父親は警察に排除されて非難され、考えを変えるに至るが、子供たちは最終的に父と共にすることを選ぶ。
葬式に真っ赤なジャケットの父親を始めとして、子供たちがそれぞれド派手でチャーミングな格好で現れた瞬間は、抜群に楽しかった。この場面がもっと炸裂したらよかったのに。
父の最終的な選択が半分文明社会を受け入れるものなのが不満だったが、おもしろかったのは父親が改心する時に、髭を剃ったこと。長男は髪を切る。アメリカ映画においては、西部劇が典型だが、真剣勝負をする時には、髪を切り、とりわけ髭を剃る。それがこんな映画にまで及んでいたのに驚いた。
知識をひけらかす底の浅さも含めて、アメリカのインテリの「ある種の傾向」を見たような気がして、なかなか興味深い1本だった。
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