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2017年4月12日 (水)

永田雅一にハマる:その(3)

さて、1951年にベネチアで金獅子賞を取った『羅生門』に永田はどう関わったのか。自伝『映画自我経』によれば、東宝争議の時に、東宝の森岩雄から「われわれの芸術家をまもってやってくれませんか」と頼まれたという。その時に既に、「『藪の中』と『羅生門』をミックスしたもの」のアイデアはあった。

「黒澤明君にこれをやらせようじゃないかということになった。ところがその時は、その脚本がわたしにはピンとこなかった。それで、ああでもない、こうでもないで、脚本の決定に1年もかかった。この事情は世の中にわかっていない。黒澤君と私の関係だけでやりあった。結局私の方が妥協した。ただ、私はプロデューサーだから、自分が納得できるものを作らないと、後日まで割切れない気持ちでいなければならないから、たびたび京都へ行って、撮影の最中に黒澤君に、こうしてくれ、ああしてくれ、という注文をつけた」

もちろんこれが永田のバージョンだが、この時のことを黒澤は自伝『蝦蟇の油』にこう書く。

「何を撮ろうか、いろいろ考えているうちに、ふっと思い出した脚本があった。
 それは芥川龍之介の『藪の中』をシナリオにしたもので、伊丹さん(万作、監督)に橋本さんという人が書いたものだった。
そのシナリオは、なかなかよく書けていたが、一本の映画にするには短すぎた。
(中略)そうだ、『藪の中』は三つの話で出来ているが、それに新しくもう一つの話を創作すれば、ちょうど映画には適当な長さになる、という考えが浮かんで来た。
また、芥川龍之介の『羅生門』という小説の事も思い出した」

当然これは、「ラッパ」と呼ばれたほら吹きの永田の話よりも黒澤の言うことが正しいだろう。それでもその後永田がカンヌで『源氏物語』と『地獄門』、ベネチアで『雨月物語』に『山椒大夫』と、異なる監督の時代劇で毎年賞を取っている事実は、無視できない。最高賞の『羅生門』と『地獄門』はアカデミー賞も取り、欧米各地で公開されている。永田は同じ自伝で言う。

「常識的に、日本の人情風俗は、外国人が見てたしかに複雑怪奇だ。だから外国人に見せるのはストーリーが簡単で、登場人物が複雑怪奇というものを作らなかったらダメだ。だから『羅生門』においても、『雨月物語』においても、主要人物はわずか二人か三人で芝居をしている。そういうものがみんなグランプリを取ったり、作品賞を取っている。そして私の野心を満してくれるのだ」

確かにその通りだが、この「永田時代劇」受賞ラッシュの3年間を終えると、日本映画の活躍は一気にしぼんでしまう。最初のエキゾチズムによる高揚が終わると、だんだん国際的な関心が冷めていったのではないか。こんなことは今でもよくある。80年代だとスイス映画が新鮮とか、90年代だとイラン映画がすごいとか。

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