『パターソン』の自己模倣を楽しむ
今年のカンヌでは「ちぇっ、コンペはいつもおんなじ」"Pfff...c'est toujours les memes en Compet"というバッジがオフィシャルの売店で売られていたという。それを付けた友人が写真を送ってくれた。つまり主催者もわかってやっているのだろう。
去年はそれが今年よりも極端だったと思う。アルモドバルもケン・ローチもダルデンヌ兄弟もジャームッシュもファルハディもコンペ外のウディ・アレンもみんな同じ調子。その中では、ケン・ローチとダルデンヌ兄弟とウディ・アレンは以前よりパワーが落ちて手慣れた職人芸になっており、アルモドバルとファルハディは新しい境地に達しているように私には思えた。
そのどちらでもないのが、日本では8月26日に公開するジャームッシュの『パターソン』。つまり30年前以上の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)からおんなじで、それをさらに純化させたというべきか。つまり、全体にオフビートでクールでおかしな人々が出てくるが、たいしたことは何も起こらないというパターン。
今回は設定自体もふざけている。パターソンという小さな町に住むパターソンという名のバス運転手がいる。彼はその町出身のウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩が好きで、自分も空いた時間にボールペンでノートに詩を書くのが趣味。
彼は妻のローラと住んでいる。彼女は白と黒の不思議なパターンの模様の絵を描き、自分の服も家の壁もその模様で一杯にし、週末にはその模様のクッキーを売りに行く。パターソンは朝6時過ぎに起きて、仕事に出かけ、夕方に帰って妻と夕食を共にした後に、犬の散歩を兼ねてバーに行く。仕事やその行き帰りやバーで出会う奇妙な人々。
月曜の朝起きるところから始まって日曜まで、毎日が淡々と進む。土曜日の夜に買っていた犬のマーヴィンが事件を起こす。それはパターソンが日曜日に出会う日本からの見知らぬ旅行者(永瀬正敏)によって、いくぶんかは慰められる。
そもそも詩を書くバスの運転手が、アメリカの小さな町にいるだろうか。彼は何もしない気まぐれな妻にあれほど寛大で、出会う人々をクールに観察する。存在自体がファンタジーだし、工場や滝のある川や木々に囲まれたパターソンという町自体が、詩の中の風景に見えてくる。
パターソンという町に住むパターソンというドライバーを演じるのは、アダム・ドライバーだし、ドライバーと言えば、監督のパートナーの名前はサラ・ドライバーだった。今度の映画でも「企画協力」などのクレジットがあった。どこまで行っても冗談のような、ジャームッシュの限りなき自己模倣の産物だろう。
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