実家付近を歩いて
私は福岡県南部の小さな町の出身だが、この連休に実家へ帰ってあらためて愕然となった。かつて自宅近くにあったお店がすべてなくなっていた。そこは町内では人通りの多い地区だったはず。
家から50メートルほど歩くと、駄菓子屋、文房具屋、和菓子屋、理髪店、旅館、果物とお菓子の店、ラーメン屋、魚屋、化粧品店、酒と食料品の大きめの店と、3、4メートルほどの幅の道にずらりと並んでいた。それらすべてが、ものの見事になくなっている。
その代わりに国道沿いに、駐車場付きの大きなスーパーやローソンやモスバーガーができている。そのあたりにはかつて喫茶店が数軒あったが、今は跡形もない。もちろんローソンには東京と同じものが並んでいる。少し先にはむやみに広い新しい国道ができていた。これは私と同じ姓の国会議員が作ったものらしい。
もっと驚いたのは、近くの大牟田市に行った時。「松屋」と「井筒屋」という2つの百貨店はどちらも潰れて跡地に何も立たず、ガラガラの駐車場となった。「銀座通り」といった商店街はほぼシャッター街となり、新栄町駅に隣接していた「西鉄名店街」などは跡形もなくなくなっている。その跡を歩いてみて、「さびれる」とはこういうことだと思った。
みんなはどこに行くかと言えば、そこから少し離れた「ゆめタウン大牟田」という。スーパーにファーストフードやユニクロなどを足した店で、一応すべて手にはいるらしい。ほかにも海側には「イオンモール」があり、シネコンもある。
私は小学校5年生頃から中学3年生まで、日曜には電車で新栄町に行って、近くに3、4軒あった映画館で2本立てや3本立ての洋画を見ていた。もちろんそれらの映画館もない。
大牟田がさびれたのは三井三池炭鉱や三井三池製作所といった三井の城下町だったからで、石炭が必要なくなったら人口は減り、すべてがなくなっていった。たぶん筑豊も同じだろう。それとは別に全国で、郊外型のショッピングセンターやコンビニやファーストフードの席巻がある。
全国にコンビニやイオンモールができて、すべてが同じ風景になる。みんなが同じものを着て、食べる。嘆いてもしかたがないけれど。東京で暮らしていると、なかなか気づかない。
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